150周年記念企画
「未来を拓く青学マインド」
社会に貢献し
カルチャーを
つくり出す働き方
|校友・卒業生|
合同会社コンデナスト・ジャパン 副社長
平石 敬晴
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地球社会共生学部
地球社会共生学科 4年
太田 こころ
今年、青山学院は創立150周年を迎えました。この間、数多くの卒業生が巣立ち、在学中の学びや人との出会いを礎にして、幅広い領域で活躍しています。今回は、青山学院大学経営学部の小林保彦教授(名誉教授)ゼミで広告を学び、現在はファッション誌『VOGUE JAPAN』の発行人を務める平石敬晴さんに、地球社会共生学部地球社会共生学科4年生の太田こころさんがインタビューをします。太田さんは、キャリア支援や美容の分野に興味を持ち、長期インターンシップへの参加や、新規事業の立ち上げも行っています。キャリア選択や社会課題解決に向けたアイデアなど、話が弾みました。
Profile
合同会社コンデナスト・ジャパン 副社長
チーフ・ビジネス・オフィサー/『VOGUE JAPAN』発行人
平石 敬晴
1994年 経営学部 経営学科 卒業
広島県広島市出身。大学では小林保彦教授ゼミに所属し、広告やマーケティングを専門に学ぶ。卒業後、広告代理店に就職し、コスメやファッションの分野を中心に雑誌広告などを手がける。2000年に合同会社コンデナスト・ジャパンに入社。ハイブランドの広告やタイアップ記事、イベント企画などで活躍する。ファッションブランド企業と協力しての新ビジネス開発、世界的ファッションイベント開催など、カルチャーの創生、浸透にも尽力している。
地球社会共生学部 地球社会共生学科 4年
太田 こころ
神奈川県立麻溝台高等学校出身
松永 エリック・匡史教授のゼミに所属し、社会課題を実践的に学びながら、キャリアと美容領域での社会課題解決に興味を持つ。貧困層へのキャリア支援活動、化粧品会社でのルッキズムを助長しないSNS運用などで、問題意識を実践に結びつけている。ルッキズムの問題解決を目指し、学内でメンズメイクワークショップを主催し、自分磨きや多様な美を享受する楽しさを伝えている。卒業後は、人材関連会社に就職予定。
TALK THEME
1st TALK
「キャリア選択における心得は?」
決めたことに自信を持って進めば、
それが正解になります
太田さん
私は美容とキャリア支援の分野に興味があり、両方の分野で長期インターンシップに参加してきました。就職活動では進路に迷うこともありましたが、卒業後は人材サービス企業に就職します。キャリア支援では、自分自身で新規事業の立ち上げにも挑戦しており、キャリアに関してはまだ迷うことがあります。平石さんは、どのようにしてキャリアを歩まれたのでしょうか。
中高生の頃から広告に興味を持っていたので、進学先は「広告を学べる名物ゼミのある大学、学部」を基準に考えていました。青学の経営学部を選んだ理由は、当時「広告論」の授業を担当されていて、名物ゼミといわれた小林保彦先生のゼミに惹かれたからです。入学後は小林先生が重視されていた「世の中に何かを伝えること」「コミュニケーションすること」を軸に広告を専門に学びました。卒業後は広告代理店に就職し、ファッション、コスメの雑誌広告などの仕事を6年間経験。ご縁があって今の会社に転職しました。広告だけでなく、さまざまなコンテンツやクリエイティブの制作に携わる機会が増え、活動の幅が広がっています。
平石さん
太田さん
転職で仕事内容や方向性が大きく変わりましたか。
広告代理店での経験を生かして今があります。よく勘違いされるのですが、私の役割は『VOGUE JAPAN』の編集長ではなく発行人です。編集を担う人は別にいて、お互いに連携を取りながらメディアを発行しています。入社時からの大きな役割は広告セールスです。クライアントのニーズを聞いて広告ページをつくるほか、それに合わせた企画、コンテンツの開発もします。現在はデジタルコンテンツやイベントの企画など、携わる領域は多岐にわたっています。世の中に何かを伝えるという軸は大学時代から変わっていませんよ。
平石さん
太田さん
私はキャリア領域も美容領域も両方大切に感じているのですが、どちらもやろうとすれば両方とも中途半端になってしまいます。やることを一つに決めることへの不安はありませんでしたか。
私の場合は、むしろ、どうして広告一本に絞ってしまっていたのかなあと、思うことがあります。きっと、その頃は視野が狭かったのでしょうね。広告の仕事は広い視野も求められるため、もっといろいろな世界を見ておけばよかったと感じることもあります。とはいえ、広告に絞ったからこそ今の私があるので、その選択に後悔はありません。何かを選ぶときに、何かを諦めることも伴います。決断の時には多くの情報を集めて多方面から判断して、時には直感を信じることも必要です。一度決めたことに自信をもって進んで行けば、それが正解になります。
平石さん
太田さん
選んだものを正解にするのですね。
その通りです。太田さんが今回、キャリア支援領域の企業に就職を決めたことで、今後の経験を通じて新たな選択肢が見えてくるかもしれません。もしかすると、やはり美容へのことを諦めきれないと感じる瞬間が訪れることもあるでしょう。その際には、恐れることなく新たな道を選び、進んでいけば良いのです。まだまだ人生は長いので、たくさんの経験を積むチャンスがありますよ。どんな選択も、その時々の自分にとっての「正解」として受け止め、前に進むことが大切です。
平石さん
太田さん
平石さんは「今後これをやりたい」と思うものは何かありますか。
仕事以外では、出身地である広島に貢献したいという思いがあります。私の母は0歳のときに被爆しました。もちろん本人は当時の記憶がありませんが、祖母からその時の話をよく聞いて育ちました。広島では、学校や地域で、原爆を語り継いでいく姿勢が大切にされています。しかし、大学進学を機に東京に来たとき、8月6日を広島に原爆が投下された特別な日として心に刻み、黙祷を捧げたり戦争や平和について考える機会が少ないことに大きな衝撃を受けました。広島の原爆と平和の大切さを伝えていくことは、自分にとっての使命だと感じています。これまでの経験で培ってきた「伝える」ことを生かし、ライフワークにしていきたいですね。また、地方創生にも取り組みたいと考えています。今も多くの方が広島を訪れてくださるのはうれしいことですが、それに伴いオーバーツーリズムの問題も出てきています。暮らしやすさと発展が両立する広島に貢献することが私の夢です。将来的にはそのような社会貢献をしていきたいという思いがあります。
平石さん
太田さん
私も、本業や自分自身の事業など、様々な方法で、社会課題解決に貢献しながら生きていきたいと思っています。平石さんの将来の目標をうかがって勇気づけられました。
2nd TALK
「カルチャーづくりと
社会課題解決に貢献するには?」
クオリティーが高く信頼性のある、
本物のコンテンツ発信が重要です
ファッション誌『VOGUE JAPAN』も社会課題解決に注力されていますね。
太田さん
平石さん
今は自社が成功すれば良いという時代ではありません。社会課題解決とビジネスを両立できる企業が生き残っていくでしょう。また、働く上で、自分の価値観や目標が企業の取り組みとつながっていると、仕事に対する充実感や幸福感も得られます。
『VOGUE JAPAN』の仕事をすることは、読者やオーディエンスの人生にポジティブな影響を与え、インスパイアできる点が魅力だと感じています。新しい時代の女性像やさまざまな価値観、スタイルを世の中に提示し、社会と深く結びついた仕事ができています。
確かに、多様な視点を取り入れている『VOGUE JAPAN』の記事は、自分が慣れ親しんだ視点だけでなく、それまで知らなかった価値観にも出会える点が素晴らしいと思います。
実際に、ルッキズム(外見至上主義)を扱う際には、様々なライターの方を起用することで、多様な視点が世の中に提示されていますよね。
すべての人が美容を楽しめる社会にするためには、ルッキズムとの向き合い方を考える必要があると思っているのですが、平石さんは、ルッキズムをどのように捉えていますか。
太田さん
平石さん
『VOGUE JAPAN』の表紙を見てもらうと分かりますが、さまざまな人種、性別のモデルを起用しており、スタイルや美の多様性を表現することは大切にしています。けれども、ルッキズムは「容姿で全てを判断すること」と捉えているので、受け入れがたい考え方だと感じます。太田さんは、このテーマについて勉強されているようですが、どのように考えているのですか。
ルッキズムを柔軟に捉えることで、皆がもっと美容を楽しめると考えています。「ルッキズム=悪」と決めつけ、見た目や容姿を重視することを全て否定してしまうと、メイクを楽しむことやアイドルをビジュアルで応援することでさえ、喜びを失ってしまいます。
モデルでいえば、洋服をきれいに見せることができるという観点で容姿、スタイルを審査することは必要ですが、健康に問題が生じるような容姿を求めないことを徹底したり、モデルの基準を身近な人との関係の中に持ち込まないなど、状況に応じた捉え方をすると良いと思います。メイクイベントでも、ルッキズムや画一的な美の基準を完全に否定するのではなく、「どうしたらその中で美容を楽しめるか」を参加者にも考えてもらうよう心がけています。
太田さん
平石さん
確かに太田さんの言う通りですね。「ルッキズム」という一言においても多様な捉え方が必要ですね。相手に対して安易にレッテルを貼るようなルッキズムは避けなければいけません。
多様性の大切さを広めるだけでなく、『VOGUE JAPAN』は、コンテンツの発信やカルチャーをつくる役割も担っています。その成功のカギがあれば教えてください。
太田さん
平石さん
コンテンツメーカーであるメディアとして、まずはコンテンツ、その先にカルチャーを発展させることをミッションと考えています。ベースであるコンテンツを、高いクオリティーで、信頼性と新規性のあるオーセンティックな「本物」とすることがカギになります。ユーザーは、そうした質の高いコンテンツに惹かれてファンとなり、そのコミュニティーの間で自然とコミュニケーションや議論が生まれます。先ほどのルッキズムなども実りある議論ができそうなテーマですね。そうした交流の場にカルチャーが生まれ、やがて「独立したカルチャー」として成熟するわけです。
残念なことに現代のデジタル空間は、不確かな情報があふれています。このような環境の中で私たちは信頼に足る、オーセンティック(本物)なコンテンツを発信し続けることが極めて重要なポイントだと自負しています。
私もSNSで日頃の活動などについて発信をしていますが、素人ながらも、本物のコンテンツを出し続けることにこだわっていきたいと思います。
太田さん
3rd TALK
「今に生きる大学時代の学びは?」
コミュニケーションには、いろいろな手段があることなど、多くを学びました
大学時代の経験が今に生きていることはありますか。
太田さん
平石さん
ゼミでお世話になった小林保彦先生の数々の教えは大切にしています。入学前から小林先生のゼミに所属したいと希望していましたから、先生に頼み込んで1年次から先生の授業に参加させていただいていました。当時経営学部の1〜2年次は厚木キャンパスで学んでいましたが、青山キャンパスに毎週通っていたのです。3年次から正式にゼミに所属し、先生とは現在も交流させていただいています。
実は私も今ゼミでご指導いただいている松永 エリック・匡史先生に直接お願いをして、2年次からゼミの勉強会に参加させていただいていました。
太田さん
平石さん
学びたいゼミに直接アプローチするのは、私たちの共通点というわけですね!
そうですね(笑)。ゼミで特に印象に残っていることはどんなことですか。
太田さん
平石さん
先生が一言も話されなかった授業は今でも強く印象に残っています。普段は、学生たちと自由な議論をしてくださる先生で、よくお話しになるのですが、喉の調子を崩されたのか、その日は、黒板に「今日は映画をみてもらいます」とだけ書かれていました。そして、松本清張原作の映画『砂の器』が上映され、レポート提出することになりました。
『砂の器』はハンセン病を背景にした社会派ミステリーで、セリフのない長いシーンがあります。その場面と、一言も話さないで展開された授業とをあわせて考えると、先生はこの授業によって、「言葉を発することだけが大切なのではない」「コミュニケーションにはいろいろな手段がある」というメッセージを伝えたかったのではないかと感じました。コミュニケーションの幅広さに気付かせてくださった先生の教えは、社会とのつながりを大切にする仕事の中で生かされています。
コンテンツでもイベントでも、ユーザーやオーディエンスとのコミュニケーションを大切にしてカルチャーづくりにつなげている姿勢は、大学時代からのテーマでもあるのですね。学生のうちにやっておくと良いことはあるでしょうか。
太田さん
平石さん
多方面に興味を持って、臆せず一歩踏み出して実践してみることです。私自身は学生時代にそうした挑戦ができませんでした。やりたいことはいろいろあったものの、躊躇して踏み出すことができなかったのです。しかし、社会に出てから、不安に思いながらもやってみたことで、新たに景色が変わる経験をいくつもしてきました。今振り返ると、学生時代のように時間がたくさんあるうちに、もっとチャレンジしていればより多くの視点を得られただろうと思います。重要なのは、頭の中で考えるだけでなく、具体的に行動に移すことです。そういう点では、太田さんはインターンシップやイベント開催、事業立ち上げなど、実際に行動をしていますから、素晴らしいと思いますよ。
ありがとうございます。
最後に、青学生へ向けたメッセージをお願いします。
太田さん
平石さん
就職活動で挫折した時、小林先生からいただいた「人間(じんかん)到る処青山(せいざん)有り」という言葉が今でも心に残っています。幕末の僧の言葉で、元々は「骨を埋める場所はどこにでもある」という意味です。当時、24社の広告会社に落ち続け、採用された25社目を辞退して翌年に再挑戦しようと思っていた私に「人間どこでも活躍の場はあるよ。まずは採用された場所で頑張ってやってみなさい」という励ましのメッセージとしてくださった言葉です。辞退しようと考えていた会社でしたが、入社してすぐに企画を任されるなど、小規模企業であるが故のチャンスに恵まれて、早い段階で多様な仕事に携われたことは大きなアドバンテージとなりました。あの経験があったからこそ今があると思えます。
失敗や挫折を経験した時にはいつも「人間到る処青山有り」を思い出して「どのような状況でもまだ頑張ってやっていけるな」と奮起しています。「青山」が入っているこの言葉を、青学生の皆さんへ贈りたいです。
素敵な言葉ですね。私もこれから社会で働く上で大切に心に留めておきたいと思います。今日はありがとうございました。
太田さん
After Interview
夢に向かい、太田さんが平石さんとの対話から得たヒントは?
選んだ道を正解にして、好きや強みを生かした社会貢献を
キャリア領域以外にも幅広く社会課題に取り組んできたため、進路選択の際に他の選択肢を捨てることへの躊躇がありましたが、平石さんとお話をして、今私は選んだ道を正解にしていく段階にいることを自覚しました。キャリア領域へ進むと決めた以上、この業界で新規事業を立ち上げ、社会貢献するという夢を叶えたいと思います。また、平石さんの広島への貢献という夢に関して、「好き」や「強み」を生かした社会貢献を目指す点に共感しました。私も、今後の社会人生活を通じて得たものを生かし、学生時代とは異なる方法で社会に貢献することを新たな目標として歩んでいきます。