150周年記念企画
「未来を拓く青学マインド」
新興国で現実的なソリューションを提供し、喜びを届ける
|校友・卒業生|
ウズベキスタン共和国
デジタル技術省大臣顧問
桜井 明博
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国際政治経済学部 国際政治学科 2年
中野 彩夏
2024年、青山学院は創立150周年を迎えました。これまで、学院での学びを糧に、多くの卒業生が幅広い分野で活躍しています。今回は、ウズベキスタン共和国デジタル技術省大臣顧問に就任され、政府関係者として青山学院大学を訪問された桜井明博さんに、国際政治経済学部で新興国の開発援助を学ぶ2年生の中野彩夏さんがインタビューしました。桜井さんは、日本企業で長年にわたり世界各国の情報通信インフラ整備事業に従事し、定年退職後、その実績が評価され、ウズベキスタンの大臣を支える官公庁で新たな道を歩み始められました。新興国の発展に貢献する仕事の魅力、国際社会で活躍するために必要な思考法についてお話を伺いました。
Profile
ウズベキスタン共和国デジタル技術省大臣顧問
桜井 明博
1986年 国際政治経済学部 国際政治学科 卒業


国際政治経済学部の第1期生として入学、1986年に国際政治学科卒業後、日本電気株式会社(NEC)入社。38年間にわたりグローバルビジネスに従事。通信、放送、郵便などインフラ整備分野から、デジタルガバメント、ファイナンス、AIなど幅広く担当。5か国での海外駐在経験や、米州EMEA本部長などのキャリアを通して豊富な海外人脈を築く。2024年9月、ウズベキスタン共和国デジタル技術省大臣顧問に就任し、同国のICT産業の育成に向けた政策提言などに取り組む。また、国営通信事業会社のウズベクテレコム取締役も兼任し、国営通信会社の将来戦略への助言も行っている。

国際政治経済学部 国際政治学科 2年
中野 彩夏
大阪府立三国丘高等学校出身
子どものころ通っていた英会話教室で英語が好きになり、予備校で受けた「世界史」の授業をきっかけに、国際政治に関心を持ち始める。大学1年次に履修した「アフリカ政治入門」の授業を通じて、新興国の実情と先進国による「開発援助」への関心が高まり、現在は「安全保障」も加えた2分野を中心に学んでいる。卒業後は公共政策の研究が行える大学院への進学を視野に入れている。
TALK THEME
1st TALK
「新興国で仕事をすることとは?」
現地の課題や文化を深く理解し、現実的なソリューションを提供することで、
生活を便利にし、人々に喜びをもたらすことです


中野さん
今日、桜井さんにお話を伺えるのを楽しみにしていました。桜井さんは、ウズベキスタン共和国のデジタル社会構築に取り組まれていますが、私も新興国の視点から考える「開発経済学」や「安全保障」といった分野に関心を持ち、学んでいます。
開発経済学と安全保障、どちらも現状の国際政治において非常に重要な分野ですね。そもそも「新興国」に興味を持つようになったきっかけは何だったのでしょう?

桜井さん

中野さん
入学してすぐ1年次前期に履修した「アフリカ政治入門」の授業を通じて、それまで自分が先進国の視点からしか世界を見ていなかったことに気付きました。大学では、高校の「世界史」の教科書で学んだ世界とは全く異なる、新興国から見た “世界”をもっと深く知りたいと思うようになりました。特に、環境問題やジェンダーといった現代社会の課題も、新興国の視点を取り入れることで新たな風景が見えてきて、とても興味深いと感じています。
2年生でそこまで考えているとは素晴らしいですね。私は、日本滞在時に様々な大学でゲストスピーカーとしてお話する機会がありますが、どの学生さんもとても勉強されていて感心します。中野さんは大学卒業後のことも考えているのですか?

桜井さん

中野さん
3年次からは、新興国の経済開発を学ぶゼミに所属する予定です。課外活動では、国際政治経済学部の学生団体「外交・国際公務指導室」(外交官や国際機関職員など国際社会で活躍する人材の育成を目指す学部公認団体)に所属し、「開発援助」グループの座長を務めています。現在の国際情勢を見ていると「安全保障」についても考えを深める必要性を感じ、防衛駐在官を経験した現役自衛官の方を青学にお招きして、「海外勤務を通じて学んだ国際交流の重要性」をテーマとした講演会を企画しました。
卒業後は、アジアやアフリカ諸国を対象とした開発経済学や公共政策を研究できる大学院への進学を視野に入れています。将来は、シンクタンクやコンサルタント会社で、新興国の発展に貢献することを目標としています。
明確な目標を持っているのですね。1980年代は、当時のソ連とアメリカが世界の二極を担い、西ヨーロッパや日本などの自由主義陣営と、ソ連や東欧などの社会主義陣営が対峙する「冷戦」末期の時代でした。私が大学進学を控えていた頃、ニュースでは「核の脅威」が取り上げられることも多く、進学先に国際政治経済学部を選んだ理由の一つには、そうした時代の問題意識に影響しています。
約半世紀が経過した現在でも、ロシアによるウクライナ侵攻、中東情勢、北朝鮮のミサイル発射など、国際情勢における「安全保障」の重要性はさらに高まっています。ぜひ、若い世代の皆さんにも積極的に関心を持っていただきたいと思います。

桜井さん

中野さん
おっしゃるとおりです。私の同学年には、ウクライナ情勢をきっかけに安全保障に関心を持つようになって、国際政治経済学部に入学したという友人たちも多いです。
私は10年前、モスクワに約5年間駐在しました。ウクライナをはじめ旧ソ連構成諸国にたびたび出張しましたし、モスクワのオフィスには多くのウクライナ人スタッフが働いていました。当時は、国家や民族間の対立がそれほど先鋭化しておらず、ロシア人とウクライナ人が仲良く一緒に働いていたのです。それが今、このような状況になってしまい、本当に残念でなりません。ウクライナの知人の中には、徴兵されて戦地に赴いた方もいます。だから私にとってもウクライナ侵攻は「自分事」であり、一刻も早い「平和」の実現を強く願っています。

桜井さん

中野さん
遠い国の出来事をどのように「自分事」として考えられるのか、安全保障という現実の問題を、メディアや報道を通じた仮想現実としてではなく、自分に関わる問題として捉えることは重要だと思います。特に、私が最も関心を持つ「開発経済学」を学ぶうえでも、支援を受ける新興国の立場を「自分事」として考える姿勢が必要だと思います。それを実感するのは簡単なことではないのですが。
確かに難しいことですが、中野さんが「自分事」として考える重要性をすでに認識していること自体が、とても大切だと思います。私はNECの海外営業部門に配属され、新興国で通信システムの整備に携わる中で、ビジネスを通じて実地で新興国の実態や開発を学んできました。

桜井さん

中野さん
桜井さんは、これまでどのような国でお仕事をされてきたのでしょうか?
就職後、最初に配属されたのは海外事業グループ 中南米第二部で、担当国はペルーでした。1980年代のペルーは、左翼ゲリラ組織による暴力と政府の対応が問題を複雑化させ、治安と貧困の両面で深刻な状況にありました。そんな中で私が最初に担当した仕事の一つが、「テロ対策」を目的とした国家警察向け通信システムの受注・構築プロジェクトでした。
当時のペルーは、経済の失策によりハイパーインフレが発生し、経済が破綻状態に陥っていました。さらに、政府が一方的に対外債務不履行(デフォルト)を宣言したため、国際通貨基金(IMF)から「融資不適格国」とされ、新規融資が完全に止められる状況で、このプロジェクトは、多くの人が「資金がないから実現しない」と否定的に見ていました。しかし、「テロ対策」という大義に共感してくれたアンデス開発公社(CAF)が資金提供し、さらにペルーに支店を持つ東京銀行(現在の三菱UFJ銀行)がその資金を保証してくれたことで、プロジェクトは実現したのです。
単に技術を提供するだけではなく、「諦めなければ物事は実現する」という強い教訓を与えてくれたこの経験は、私にとって初めての「開発経済」の実践であり、社会人としての考え方や姿勢に大きな影響を与えた、非常に意義深いプロジェクトとなりました。
もう一つのペルーでの仕事は、日本政府の開発援助資金(ODA)を活用し、NECが開発・製造した「固定電話」の通信プラントを輸出し、現地で敷設工事を完了させるプロジェクトでした。当時のペルーでは、爆弾テロや治安機関への武力攻撃、誘拐・拉致事件が頻発していたので、現地出張時には、夜間や不用不急の外出は避けるよう厳重注意され、防弾チョッキを着用して外出することもありました。
そのような厳しい環境の中、様々な困難を乗り越えて通信インフラを構築した結果、ペルーの一般家庭に固定電話が普及し、人々の生活は便利になりました。現地の方々が心から喜び、感謝の言葉をかけてくださったあの笑顔に触れたことが、現在、新興国ウズベキスタンの発展に尽力する原点になったと思います。

桜井さん

中野さん
会社の利益や自分自身のやりがいよりも、誰かが喜ぶ姿を見たいという思いが、ハードな仕事に取り組むモチベーションになっているのですね。
そうですね。自分のためだけでは、なかなか100%のエネルギーを発揮できないと感じています。年齢を重ね、経験を積むほどその思いが強くなりました。自分が最も力を発揮できるのは、誰かが喜んでくれる姿を見たいという思いがあるからです。そして、その喜びが最終的には自分自身の幸せにもつながるのだと実感しています。

桜井さん

中野さん
とても共感できます。私も、誰かに喜んでもらって、ポジティブなリアクションをいただくと、「もっと頑張ろう!」と思えることがよくあります。
2nd TALK
「グローバルなキャリアを築くためには?」
自分の経験を積み重ねることだけでなく、
他者の意見に耳を傾ける柔軟性や、異なる文化や価値観を理解する姿勢が重要です。

その後の桜井さんのキャリアについても、詳しくお聞かせいただけますか?

中野さん

桜井さん
ペルーやボリビアでの南米担当の経験から「少しはスペイン語ができるだろう」と会社が判断したのか、欧州部での南欧担当を経てNEC Iberica社に配属され、マドリードに駐在しました。
その後、NECがヨーロッパの営業拠点を集約するため、オランダに通信・放送・郵便システムの営業・SE拠点を設立しました。私は、アムステルダムを拠点に、欧州全域を対象とした営業活動を約3年間担当しました。その後は、ポルトガル政府から要請を受けてNECが一部資本参加した倒産寸前の更生法適用製造企業SISTEL社(再生後、事業ポーフォリオがNEC中心となりNEC Portugal社へ改名)に赴任しました。リスボンに約4年間駐在して、同社の営業マーケティング活動とPMI(買収後の統合作業)に従事しました。
この9年間半にわたる欧州駐在で、各国で主に通信システム構築の業務を担当し、相当な「国際経験」を積むことができたと思います。
先ほどお話しいただいたロシアへの赴任は、その後のことでしょうか?

中野さん

桜井さん
そうです。一度、日本の本社に戻り10年ほど勤務しました。その間、ドイツのシーメンスとの合弁事業(JV)、NECのグローバル戦略製品Pasolinkのシェア世界1位達成などに従事した後、北米部長を務めました。その7年後にはロシアCIS部長を経て、NEC Neva Communications Systems社の社長としてモスクワに駐在することになりました。
当時の上司から「君は北米よりロシアの方が向いていると思う」と異動を告げられたときは、正直なところ、その意味が全くわかりませんでした(笑)。しかし、実際にロシアで働いてみて、その意味が良くわかりました。また、他者は想像以上に自分のことをよく見ているものだ、ということも実感しました。
振り返ってみると、このロシア駐在は後の私の人生にとって大きな転機となりました。モスクワ駐在中に、旧ソ連構成諸国とも関わりを持ち、その中の一つが今回「デジタル技術省大臣顧問」という重要な役割を任せていただいたウズベキスタン共和国だったのですから。
ウズベキスタン政府は、日本人である桜井さんにどのような期待をして、大きなお仕事を任せたのでしょうか?

中野さん

桜井さん
民主化と開放経済を進める新興国として、ウズベキスタンは急速にデジタル社会を構築していくための実践的なアドバイスやアイデアを求めているのだと思います。また、日本とウズベキスタンの関係強化も私に期待されている役割の一つだと思います。
ちょうど私が定年後の人生について考え始めていた時期でもあり、自分の経験を生かしながら新しいことに挑戦できる大きなチャンスと捉えました。これまでの駐在5か国はキリスト教国家だったので、イスラム文化を持つ国でのビジネスと生活にも興味があり、楽しみでもありました。今は責任の重さを感じつつも、常にワクワクした気持ちで働いていますよ。デジタル人材の育成をはじめ、やることはまだまだたくさんありそうです。
先進国でも新興国でもグローバルに活躍されてきた桜井さんのビジネスマンとしての豊富な経験が評価されたのですね。

中野さん

桜井さん
そうだとすれば、とても嬉しいです。私は2019年に、NECがデンマークのKMD社をM&A(合併・買収)して傘下に収め、同社に4年間勤務しました。KMD社は、デジタル政府世界一位のデンマークにおいてその基盤を支える主要ITベンダーであり、世界最先端のデジタル技術・ソリューション・人材を抱える企業です。ウズベキスタン政府は2030年までにデジタル政府世界30位以内を目標に掲げており、特にその時の私の経験を評価してくださったようです。
ただ、今までお話したことは私の会社員人生の明るい側面だけです。実際には挫折の連続でした。悔しくて眠れない夜をどれだけ過ごしてきたことか……。それでも前を向いて、そこから這い上がることが大切です。
海外でキャリアを築く中で、環境や言語・文化の壁に直面することもあったかと思います。桜井さんは、度重なる環境の変化や挫折をどのように乗り越えられたのでしょうか? 私も、これから待ち受けているであろう困難を乗り越えるために、ぜひ伺いしたいです。

中野さん

桜井さん
とても良い質問ですね。私の場合、まずは「とことん一人で悩む」ことから始めます。そして、悩み抜いたところで思い切って人に相談します。先ほど上司から「君は北米よりロシアが向いていると思う」と言われたエピソードもそうですが、これまでに上司や同僚などから、自分の思い込みを打ち破るような助言や、目からうろこが落ちるようなアドバイスを何度もいただきました。周囲の人々は、私自身よりも私のことをよく理解していることが多いと感じています。物事を客観的に俯瞰するこの重要性を何度も実感してきました。
自分でしっかり悩みながら、他者の意見にもしっかり耳を傾けることが大切なのですね。自己紹介でお話したように、私は今後の進路について具体的な目標を持ち、その実現に向けて勉強や、進学費用を捻出するためのアルバイトに励んでいます。ただ時々、前だけを見て頑張りすぎている自分に気づき、「本当にそれで良いのか?」と不安に感じることもあります。

中野さん

桜井さん
中野さんが自分で決めた道を進もうとしている姿は、とてもまぶしく見えます。ただ、未来について何が「正解」なのかは誰にもわかりません。そして、失敗や挫折のない人生は、きっとつまらないものです。だからこそ、大いに悩んでください。そして、信頼できる仲間や先生の助言に耳を傾けてみてください。
かく言う私も、若い頃は人のアドバイスには耳を貸さないタイプでした。しかし、長年のビジネス経験の中で、多くの挫折を経験し、苦しい思いを重ねる中で、「自分が見ている世界は狭い」ということに否応なく気付かされました。
近年、「ダイバーシティー」や「インクルージョン」といった言葉がさかんに使われるようになっていますが、それも、特定の立場から見える世界は限られているということを多くの人が認識し始めたからだと思います。さらに、AIの登場などで社会の進化スピードはますます速くなり、専門化や細分化も進んでいます。だからこそ、「自分とは異なる人の意見に耳を傾ける」ことの重要性は、これからさらに高まっていくのではないでしょうか。
3rd TALK
「青学での学生生活の価値を感じる時は?」
学びは後からその価値を発揮するもの。
恩師の『人生は学習の連続』という言葉を胸に、学び続ける姿勢がキャリアを支えています。

青山学院大学での学びや学生生活が、お仕事に生かされていると感じることはありますか?

中野さん

桜井さん
大学で学ぶことは、その時点では何に役立つかわからなくても、後になってからじわじわと効いてくるものだと思います。それは、授業だけに限りません。在学中、私は学院宣教師のJohn W. Krummel先生(経営学部名誉教授、専門はキリスト教学)のアドバイザー・グループ(アド・グル)に所属していました。
振り返ってみると、留学経験のなかった私がグローバルビジネスを志すようになったのは、在学中にクランメル先生との国際交流を通して、世界を自分のフィールドとして身近に感じられるようになったからではないかと思います。今でもアド・グルはありますか?
はい。

中野さん

桜井さん
学部学科を越えて、教員と学生が交流し、学生の個性や人間性を育むことを目的とした活動なんて、素晴らしい制度ですね。青学の伝統です。ぜひ今後も続けてほしいです。
クランメル先生との交流に加え、青学でキリスト教に触れた経験は、キリスト教信徒の多い国々で働くうえで欠かせない重要な要素でした。世界で働くために大切なのは、国ごとの文化や歴史、宗教、価値観の違いを理解し、それを尊重する姿勢だと思います。それと同時に、日本人としてのアイデンティティを確立することですね。
キリスト教にもとづく教育といえば、青学では「サーバント・リーダー*」を世に送り出すことを使命としていると読みました。周囲に尽くし、他者を導く存在とされていますが、これまで数々のリーダー役を務められてきた桜井さんは、この言葉についてどのようにお考えでしょうか?
*自分の使命を見出して進んで人と社会とに仕え、その生き方を導きとする人。

中野さん

桜井さん
私はNECの企業派遣でロンドン・ビジネス・スクール(LBS)のリーダーシップコースで学んだ経験があります。LBSで現代のリーダーには、「リーダーシップ」だけではなく、部下をやる気にさせ、働きやすい環境を整える「フォロワーシップ」が欠かせないと教わりました。
企業などの組織には必ず「ミッション(使命)」があります。リーダーは、「私たちはなぜここでこの仕事をしているのか?」「仕事を通してクライアントや社会にどんな価値を提供できるのか?」といったミッションを明確に示し、部下にそれぞれの役割を高いモチベーションで担ってもらうことが役目だと思います。
青学の「サーバント・リーダー」は、まさにこうした現代のリーダー像にマッチしているのではないでしょうか。
今日は貴重なお話をたくさん伺うことができ、多くを考えるきっかけをいただきました。そして、国際社会で活躍するために必要な思考法など、在学中にまだまだ学ぶべきことがたくさんあると感じました。

中野さん

桜井さん
こちらこそ、志の高い優秀な後輩のお話を聞いて、とても楽しい時間を過ごせました。私のゼミの恩師である森本三男先生(国際政治経済学部名誉教授、専門は経営組織論)は、卒業論文の表紙に「人生は学習の連続である。この卒業論文に結集した努力を終生忘れないように。1986年3月20日 卒業式の日 森本三男」と手書きでメッセージを記してくださいました。その言葉の重みを、今になって改めてひしひしと感じています。
夢に向かって頑張っている中野さんに負けないよう、私もまだまだ学び続けて自分をアップデートしていきますよ。
ありがとうございました。ぜひまたお話を聞かせてください。

中野さん


After Interview
夢への道を模索する中野さんが、桜井さんのお話から見つけたヒントは?

夢を実現させる過程で助言に耳を傾け、将来を切り拓く
桜井さんと対談をする前までは、大学院進学や新興国での開発支援プロジェクトに関する研究員、コンサルタントの仕事に就きたいという私の夢は、自分自身の努力で実現させるものだと考えていました。しかし、桜井さんのお話で「人に相談してもいい(した方がいい)」という考え方に触れ、ハッとさせられました。対談後も桜井さんから「焦らずじっくり自分の将来を考えて」とアドバイスをいただき、心に響きました。
来年からゼミに所属して学びを深めていくので、ゼミの先生や仲間の意見を聞きながら、将来の進路について新鮮な気持ちで考えようと思います。また、グローバルビジネスで豊富な経験を持ちながらも、桜井さんが今なお旺盛な向学心とチャレンジ精神を持ち続けている姿に深く感銘を受けました。私も、年齢を重ねてもそのようでありたいと思いますし、折に触れてまた桜井さんにお話を伺いたいと思っています。