自主性を養った大学での4年間。
一歩ずつ階段を上り、
夢のメジャーへ
OVERTURE
現在開催中のWBCで日本代表の中軸として活躍している吉田正尚選手。青山学院大学時代は東都大学リーグでベストナインを4度受賞。プロ野球オリックス・バファローズでも首位打者を2度獲得するなど、長打力と確実性を兼ね備えた打撃でチームを牽引し、2022年には26年ぶりの日本一の立役者となりました。2023年から米大リーグのボストン・レッドソックスに移籍し、新天地でさらなる飛躍が期待される吉田選手に、大学時代の思い出、2019年から取り組んでいる社会貢献活動への思い、後輩へのメッセージをうかがいました。
「少人数で切磋琢磨」に魅力を感じて青山学院大学へ
高校時代からプロを目指していましたが、高校3年生の時点では「プロで活躍するには実力が足りない」と感じていたこともあり、大学進学の道を選びました。青山学院大学を選んだのは、プロ野球選手を大勢輩出しており、少人数で切磋琢磨している環境で成長したいと考えたためです。
青山学院大学の硬式野球部が所属する東都大学リーグは、「戦国東都」と呼ばれるように、優勝した大学が次の年には入れ替え戦に回ることもある厳しいリーグです。その中で青学は、他大学に比べて部員数が少なく、少数精鋭で戦っているのが特徴です。人数が少ないので、スタメンで試合に出ていた僕も練習ではバッティングピッチャーをしていましたし、とにかくみんなでコミュニケーションを取り、協力し合って練習していたことが思い出に残っています。
自主性が高いことも青学の特徴で、全体練習は比較的短く、選手が自分に必要なメニューを考えて取り組む時間が多くありました。自ら考えて練習することで野球に対する視野が広がり、考え方の選択肢が増えたことは、大学4年間での大きな成果だと思います。練習の取り組み方も、「こうでなければいけない」という固定観念が取り払われ、フラットに考えられるようになりました。仲間と戦う中で、個人としては1年生から一貫してプロを目標に努力し、日米大学野球選手権やユニバーシアード競技大会の日本代表としてもプレーすることができました。自分で考え、判断し、行動する「自立」という面でも成長できた4年間だったと思います。今振り返ると、高卒ですぐプロ入りしていたら、今の自分はなかったかもしれませんね。
「野球が好き」と再確認した高3の夏
野球を始めたのは6歳の時。3つ上の兄の影響です。中学時代はクラブチームでプレーし、高校は地元の福井県の敦賀気比高校に進みました。甲子園には1年夏、2年春と2回出場したのですが、3年の夏は県大会準決勝で敗れ、出場することができませんでした。実はその後、気持ちが切れてしまって、少し野球から離れた時期があります。子どものころからほぼ休みなく続けてきた野球を1カ月ぐらい休んで、運転免許を取りに行ったりして。でも、一度離れたことで自分の視野が広がり、「やっぱり野球が好きなんだ」と気持ちを再確認することができました。
それからは「高卒でプロ入りした同級生たちに負けたくない」「4年後には自分が」という強い思いを持ち、プロ入りという目標に向かって大学4年間を過ごすことができました。4年という時間は決して短くはありませんが、その間、苦しいときも努力し、成長できたのは、あの時があったからだと感じています。あの1カ月は、私の野球人生のターニングポイントだったのかもしれません。
毎年オフには後輩と一緒に大学で練習
相模原キャンパスには、グラウンド、室内練習場、ウェイトトレーニング施設や寮がキャンパス内にあり、充実した環境で野球に打ち込むことができました。忘れられないのが大学の近くにある中華料理屋のスタミナ麺で、今もたまにすごく恋しくなるんですよね。卒業してからも、大学に顔を出した時はよく食べに行っています。
キャンパスは広いし、芝生があって建物や教室もきれいですよね。練習でよく構内を走っていたのですが、たまに陸上競技部の駅伝選手と一緒になることもありました。ちょっと併走してみて「(速すぎて)無理やな」って思いました(笑)。特に箱根駅伝の“山の神”だった神野大地君は同級生で、在学中から交流があり、卒業後もたまに食事に行ったりしています。
毎年オフには、大学で後輩と練習する時間をつくっています。学生時代はたくさんの先輩方にお世話になりましたから、自分も後輩たちのためにできることをしたいという思いからです。学生と一緒に練習すると言っても、興味を持って質問する向上心が大切だと思っているので、こちらから先に学生にアドバイスすることはないですね。最近は、あまり上下関係を意識しすぎずに貪欲に質問してくれる学生が多いので、聞かれた時にはしっかり向き合って答えるようにしています。大学に来た時は、学生時代とあまり変わらず、寮ではスリッパをそろえたりもします。一社会人として当たり前のことですからね。
貧困に苦しむ世界の子どもたちを支援
2019年から認定NPO法人「国境なき子どもたち」を通じて、公式戦でのホームラン1本につき10万円と、ファンの方に寄せていただいた募金をあわせて、途上国の子どもたちに贈っています。
社会貢献活動は、プロ入り当初から希望していたことです。若いうちから積み重ねていきたいと考えていたので、オリックス・バファローズの入団会見でも「一社会人として社会貢献したい」と宣言していました。具体的にどのような活動が良いのかを考え始めた時、頭に浮かんだのが、昔見たストリートチルドレンの映像です。世界中で貧困に苦しむ子どもたちを支える力になれたら、という思いで活動を始め、カンボジア、バングラデシュ、フィリピンなどの子どもたちを支援しています。昨年は、プロ野球関係者の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリット賞」をいただくことができ、とても光栄に思っています。
コロナ禍でなかなか現地に行くことができずにいるのですが、動画などを通して、子どもたちが喜んでいる姿や日本語で「がんばれ」と言ってくれる姿を見て、逆にこちらが力をもらっています。社会貢献は、長く続けていくことが大切だと考えています。これからも活動を継続し、感染が収束したらぜひ直接子どもたちに会いに行きたいと思っています。
大きな夢のために小さな目標を一つずつクリア
今春から、新たにアメリカでのチャレンジが始まります。小さいころテレビで見たメジャーリーグは、本当に遠い存在でした。サンフランシスコでバリー・ボンズ選手が球場の外の海までホームランを飛ばして、それをボートで追いかけている人がいて…。そのような日本にはない光景が今もとても印象に残っています。そこから、高校で甲子園に出場し、大学で日本代表になり、日本のプロ野球に入り、少しずつステップアップしてここまで来ることができました。
僕は「頂(いただき)」という言葉が好きです。といっても、決まったゴールがあるわけではなく、大きな目標に向かって小さな目標を一つずつクリアし、上を目指していくことが大切だと思っています。今回メジャー挑戦が実現したのも、これまで日本で一打席一打席を無駄にせず、実績を積み重ねてきたことを評価していただいた結果だと感じていますし、これからはアメリカでまた一歩ずつ階段を上っていきたいと思います。
やりたいことを叶えたい時には、目標の作り方が大切です。勉強でもスポーツでも、大きな目標を達成するために、何が必要か、何をすべきかを考え、取捨選択して、一つ一つ積み上げていく。そんな経験を青山学院大学で重ねて、みなさんも一歩ずつステップアップし、成長していってほしいと思っています。