一人ひとりの
個性に寄り添い
その子らしさを
輝かせる
教育人間科学部卒業
OVERTURE
大学での学びのフィールドは、授業はもちろん海外留学や課外活動、日々の学生生活など多方面に広がっています。学生時代、学業と体育会ラクロス部(女子)の活動に全力投球した山本さんは、その経験と実践的な学びを力に、小学校教諭として子どもたちと向き合っています。
柔軟な対応力が養われた大学での模擬授業
現在、東京都世田谷区立旭小学校で4年生の担任をしています。私は子どもの頃からずっと教師という職業になんとなく憧れをもっていました。小学生の時に3歳下の妹とその友達とよくやっていた遊びが学校ごっこで、私は先生の役でした。それが楽しくて、「先生っていいな」と思ったのが原体験だと思います。
その憧れを胸に進学した教育人間科学部教育学科では、小学校教諭免許の資格取得を目指し、児童教育学コースで初等教育を中心に学びました。中でも実際に仕事の現場で生きたのが、3、4年次に履修した「初等教科教育法」という授業で模擬授業を行った経験です。模擬授業の担当になると、授業の進め方の流れを考え、必要な掲示物を用意するなどの準備が必要で、かなり労力を要しました。私は何事もやるからには自分にとっても意味のあるものにしたいと考える性分なので、納得がいくまで勉強して準備をし、授業をつくる楽しさと難しさを知ることができたと思います。よく「授業は生き物」と言われ、事前にあらゆる準備や計画を行っても、目の前の子どもが何を考えるか、何を発信するかで授業の流れは変わります。
模擬授業でも、児童役の学生から予期せぬ質問が飛び出すことがあり、子どもの反応を深く予想するとともに、どのような発言にも臨機応変に反応できる対応力を身に付けることが教師には必要であるということを学ぶことができました。また、大学1、2年次に授業で聞いただけではよくわからなかった教育の基礎的な理論も、実践を通して「こういうことだったのか」と理解できたことが多々ありました。小学校の全授業科目について、講義と実践の2段階で学び、理論もしっかり落とし込めたことが、教員採用試験にも大いに役立ちました。
日本一を目指したラクロス部での経験が「伝える」ことの基盤に
大学4年間は体育会ラクロス部(女子)に所属し、学業と並行してラクロスに打ち込む日々でもありました。高校生まではバスケットボール(バスケ)に夢中で、都立広尾高校時代、バスケ部で東京都ベスト8に進出したこともあります。大学ではバスケサークルに入るつもりでしたが、「初心者でも日本代表が目指せる!」といった謳い文句が書かれたラクロス部のチラシに惹かれて体験会に参加し、すっかりはまってしまいました。練習は週5日ありハードでしたが、勉強、ラクロス、アルバイト、やりたいことはどれも諦めたくないとの思いで、分刻みでやるべきことのスケジュールを立てていました。
現在ラクロス部は関東一部リーグの常連チームとなっていますが、私が2年次には2部降格を経験しています。2部リーグで戦うことになったシーズン、私は戦術幹部としてディフェンスのリーダーを務めました。その時に掲げたチームの目標は、「2年で日本一」。1部昇格は当たり前、その先を見据えた組織づくりを目指したのです。そこで徹底したのは部員の意識づけです。目標に向かって100人超の部員全員の意志を統一するため、何度もミーティングを重ね、なぜ日本一になりたいのかを一人ひとりに考えてもらうワークなども行いました。そして、どんな簡単なこともおろそかにしない姿勢で練習に取り組み、1年で一部昇格を果たすことができました。子どもに授業をするのも、ラクロスのミーティングも、相手に何かを伝えるという点で通じるところが多くあると感じています。リーダーとして、どうしたら伝わるのかを試行錯誤した経験は、間違いなく教師の仕事に生きていると思います。
ラクロスは私にとって活力源であり、今でも社会人チームでプレーしています。大学時代に培った、いかに時間を効率よく使うかを考え、やりたいことを最大限やるという姿勢もまた、仕事とラクロスを両立する上で今の自分を支えているものですね。
「LGBT」の授業で感じた人権教育の意義
新卒で世田谷区立旭小学校に配属されて、今年で6年目になります。昨年は6年生を担任し、初めて卒業生を送り出しました。5年生から持ち上がりで受け持ったクラスだったので、2年間を一緒に過ごした子どもたちとは笑いのツボや授業においての呼吸がピッタリ合うようになっていました。私が一方的に教えるというより、会話をしながら授業が進んでいく感じが本当に楽しくて、卒業式では感動で胸がいっぱいでした。これから何度6年生を受け持ったとしても、初めて送り出した彼らのことは一生忘れないだろうと思います。
これまでの教員生活で最も心に残っているのは、昨年その6年生のクラスで「LGBT」の授業を行ったことです。本校は昨年度から東京都教育委員会人権尊重教育推進校の指定校になっており、世田谷区教育委員会から「LGBT」をテーマにモデル授業を行ってほしいと要請があったのです。身の回りに当事者も多く、私にとっては身近で関心のあるテーマだったので、自らやりたいと手を挙げ担当させてもらいました。授業の前半では、サンフランシスコに移住して現地の女性と結婚したレズビアンの友人を題材に、日本では同性同士の結婚が認められないこと、その代わりパートナーシップ制度というものを定めた自治体もあることなどを話し、後半では誰もが住みやすい世の中にするために、どうしていったらよいかということを考えてもらいました。
子どもたちの反応は寛容で、「もっと調べてみたい」「自分がそうかもしれないと思ったら、気持ちに素直でいたい」といった意見が次々に出てきました。未来を担う子どもたちが偏見を持つ前に、社会にある人権上の課題を知ってもらい、考えてもらうことの意義を心から感じた経験でした。
教科書を読んでもわからないことを伝えたい
私は難しい勉強を教えられる教師よりも、友達と学ぶことや人と関わること、毎日学校に来ることの楽しさを伝えられる教師でありたいと思っています。何より大事にしたいのが、子ども一人ひとりの個性を尊重し、その子らしさを生かすことです。学級の中には様々な個性をもった子どもがいます。例えば、授業中に立ち歩いてしまう子どもがいるとします。でも、そういう子はある面においては長けた能力をもっていることが多く、集中して読書ができたり、国語の読解の学習では授業を引っ張る素晴らしい意見を考えることができたりします。その子が立ち歩いてしまうことをマイナスにしないよう、「自分の考えが書けた人は友達の考えを見に行って、良いと思ったところに赤鉛筆で線を引いてくる」という指示をすると、目をキラキラさせて歩き回り、いきいきと赤線を引く活動に取り組みます。
小学生くらいの発達段階では、45分座っているのが大変なのはきっとその子だけではありません。「座っていなさい!」と叱りつけることもできるけれど、こうやって、立ち歩いてしまうという特徴を個性と捉えて生かすことができれば、子どもたちが自然と認め合う学級作りができると思います。苦手なことがあれば、得意なこともあるのは誰もが一緒。人って凸凹しているから面白いと思います。
また、私自身にも片耳難聴という個性があります。大学1年次に右耳、社会人1年目で左耳と2回の突発性難聴を患い、今も右耳が聞こえません。もちろん不便なこともありますが、これも人と違う自分の持ち味だとポジティブに捉えています。教え子たちには、将来同じような症状を抱えている人に出会ったら、自然に配慮できる人になってほしいです。だから子どもからいきなり話しかけられた時など、本当は何を言っているかわかっていても、わざと「先生聞こえないから左側に来て」と言ったりすることもあります。私が担任でいることが、思いやりを育むための良い影響になればと思っています。
今後やってみたいこともいろいろあり、特に海外ボランティアに興味を持っています。未知の環境で何かに挑戦してみたいという気持ちがあるからです。また、漠然とではありますが、「片耳ラクロッサー」「片耳先生」として、困っている人の力になったり、経験を伝える活動もしてみたいと考えています。多様な経験をすることで自分自身を向上させ、教科書を読んでもわからないことが伝えられる教師になれたらと思います。
山本さんの1日
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AM 8:00
出勤
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AM 8:10
教室へ。窓を開けて換気
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AM 8:30
授業(1~4時間目)。
中休みに石灰の補充やボールの点検など体育主任の業務を行う
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PM 0:15
給食、掃除
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PM 1:20
授業(5、6時間目)
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PM 3:15
職員室で答案の丸付けや行事の提案文書作成、翌日の教材準備など
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PM 4:45
業務終了
卒業した学部
教育人間科学部
人の成長や発達、形成を支える“教育”の面から人間を理解しようとする教育学。心と、その反映である行動のメカニズムを“心理”の面から探究し、人間理解にいたろうとする心理学。青山学院大学の教育人間科学部では、ともに“人間”に深く関わり、理論的、実践的に学び深める隣接2分野を総合的に学べます。将来の活躍の場は、教育現場や心理カウンセラーをはじめ、地域社会や企業など、多様な分野に広がっています。