青学での鍛錬がいまの自分の土台に。夢や希望を与えられる存在でありたい

掲載日 2024/12/17
No.326
B.LEAGUE 宇都宮ブレックス
文学部 史学科卒業
比江島 慎

OVERTURE

宇都宮ブレックスのエースであり、「パリ2024オリンピック・パラリンピック競技大会」ではバスケットボール男子日本代表の最年長選手としてチームを牽引した比江島慎選手。青山学院大学在学時には2年連続で関東大学選手権、関東大学新人戦、関東大学リーグ戦、全日本学生選手権の4冠達成に貢献し、日本代表に初選出されました。「比江島ステップ」と称される唯一無二のステップワークと高い得点力を武器に、日本のトッププレーヤーとして活躍を続ける比江島選手は、どのように学生時代を過ごし、バスケットボールと向き合ってきたのか。車いすバスケットボール次世代強化選手で、総合文化政策学部に在学中の望月悠生さんがインタビューしました。

厳しい練習環境を求めて選択した青山学院大学

洛南高等学校時代にウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会)3連覇を達成し、「大学在学中に日本代表に入る」という目標を持っていました。当時、青学の男子バスケットボール(バスケ)部には辻直人さん(群馬クレインサンダーズ所属)など高校の先輩も所属しており、大学チームの中で随一の練習やトレーニングの質の高さ、そしてハードさについて話を聞いていました。最終的に青学へ進学したのも、より厳しい環境で自分を追い込み、成長したいと考えたからです。

大学では週5日の練習に加えて、フィジカルトレーニングも綿密なメニューが設定され、今思い返してもかなりの練習量でしたね。部員数の少なさも特徴で、同期は自分を含めて5人。少数精鋭のメンバーで切磋琢磨するためレベルが高く、監督の目が一人一人に行き届きやすいという点でも恵まれていたと思います。現在はバスケ部のアドバイザーをされている当時の長谷川健志監督や、フィットネスセンターアスレティックトレーナーの吉本完明さんには、本当に情熱を持って指導していただきました。プロに進むためのビジョンに沿ったメニューを組んでくださり、その中でもフィジカル面を強化できたことは私にとって大学4年間の大きな成果だったと思っています。身心がタフになったことで、念願叶って4年次に日本代表に召集された際にも、ある程度自信を持って臨むことができました。

比江島選手が読み込んでいるのは2012年4月の「青山スポーツ」。青学在学時の自身のインタビューが掲載されている。「懐かしいな」

また、4年次には副将も務め、チーム全体が同じ方向を向いて一丸となって戦うためには何をすべきか、より一層考えるきっかけになりました。試合に出られない選手にも気を配り、試合の勝利は全員で分かち合えるよう心掛けていました。
大学時代に全日本学生選手権の決勝など、大舞台に立てたことはプロになってからも大変生きましたし、大きな目標に向かい目の前の課題をひとつひとつ必死でクリアしていくことを学んだ経験は、いまでも私の礎になっています。

大学4年次のインタビューと写真が載った「青山スポーツ」の紙面を手に

バスケットボール部のメンバーにいまも励まされ、高め合う

青学で思い出の場所といえば、一番は相模原キャンパスの練習場です。バスケ部専用のコートやトレーナールーム、フィットネスセンターが同じ建物内にあり、集中して練習できる環境が整っていました。特にフィットネスセンターは最新のトレーニングマシンが揃っていて、青学の学生であれば誰でも使用できるのでおすすめですよ。

当時、2年次までは相模原キャンパス、3年次以降は青山キャンパスで学んでいました。緑豊かな相模原キャンパスから一転して東京の最先端のエリアに通うことになり、最初はまるで違う大学に通学しているような感覚になりましたね(笑)。練習は両キャンパスで行っていたため、4年間を通して相模原と青山を行き来する生活が続き、学業との両立は簡単ではありませんでした。ゼミナールでご指導いただいた、日本中世史が専門の藤原良章先生には、親身になってサポートいただき、感謝しています。

アメリカメジャーリーグのボストン・レッドソックスで活躍する吉田正尚選手とも同じ時期に相模原キャンパスで過ごし、交流があります。そして、バスケ部のメンバーとは今でも定期的に会っています。同期や先輩が試合を見に来てくれることもあり、苦楽を共にした仲間の応援は心強いです。また、宇都宮ブレックスで共に戦っている渡邉裕規さんや高校からの先輩である辻さんなど、B.LEAGUEで活躍している青学出身の選手もいるので、これからも高め合っていきたいと思っています。

関連リンク
【アオテク】ードライブー比江島 慎(男子バスケットボール部)

青学出身である宇都宮ブレックスのチームメイト渡邉裕規選手

これまでやってきたことを信じて、ネガティブな気持ちを払拭

車いすバスケ次世代強化選手である望月さんが活躍している車いすバスケは、すごく激しい競技ですよね。一般のバスケ以上に体力が要るのではないでしょうか。また、障がいのレベルに応じて選手に持ち点が与えられるといったルールも興味深いです。車いす同士の金属がぶつかり合う音には迫力がありますし、会場で観戦すると、床とタイヤがすれてゴムの焼ける臭いがすると聞いたことがあります。ぜひ一度、会場でその迫力を生で体感してみたいです。

試合の前日は緊張や不安を感じることがよくあります。そういうときは、これまでたくさんミスをし、壁にぶつかっても練習を重ねて乗り越えてきたことをもう一度思い出します。「いままでやってきたことを信じるしかない」と覚悟を決めると、嫌なイメージが消え、自然と緊張が解けて気持ちも前向きになります。
そうは言っても、どんな試合もノーミスで終わるということはなく、スーパースターと呼ばれる選手でもミスはします。だからこそ、試合中にミスをしても、「他のところで取り返そう」と気持ちを切り替えるようにしています。どうしても調子が上がらないときには、たとえば、スリーポイントがいまひとつであればドライブをする、それもダメならアシストに力を注ぐなど、調子が悪いなりに自分の役割をきちんと考えて、チームに貢献するプレーを意識するようにしています。

できるだけ長くトップでプレーを

昨年の「FIBA Basketball World Cup2023」では、日本男子代表がアジアで第1位になり、48年ぶりに自力で五輪出場権を獲得しました。この結果、日本中でバスケが大きな注目を集め、多くの方から「日本代表のプレーを見て元気が出た」、「活力をもらった」という声をいただき、非常にうれしかったです。改めて、バスケットボールプレーヤーという職業は、人に感動やエネルギーを与えることができるのだと感じました。これからも、子どもたちに夢や希望を与えられる存在であり続けたいと思っています。

現在、宇都宮ブレックスでプレーさせてもらっており、チームにおける自分の在り方を強く意識しています。私は大きな声を出してみんなを引っ張っていくタイプでありませんが、ディフェンスやリバウンド、ルーズボールなど、泥臭いところで率先して体を張ることでチームの士気を高めることを心掛けています。常に「背中を見せる」ことで周りに良い影響を与えていきたいですね。

今年で34歳になり、これからは年齢との勝負になると思います。これまでのバスケ人生を振り返ると、大学時代にプロチームと戦った天皇杯、日本のバスケの新たな歴史を作ろうと世界の強豪に挑んだワールドカップやオリンピックなど、数々のチャレンジングな舞台で心が熱くなった瞬間を思い出します。バスケが大好きで、できる限り長くトップでプレーし続けたいという思いは今も変わりません。そのために、これからも努力を惜しまず、どれだけチャレンジできるのか、自分でも楽しみです。

After Interview

総合文化政策学部 3年

望月悠生

埼玉ライオンズ所属/車いすバスケットボール車いすバスケ次世代強化選手

テレビでプレーを見ていた憧れの方だったので緊張しましたが、とても気さくに話してくださって楽しかったです。私は試合中、ミスをするたび少し落ち込んで引きずってしまうのですが、比江島選手の「ノーミスの試合はない」という言葉をお聞きし、その通りだなと思いました。もちろんミスを反省して改善していくことも大事ですが、試合においては気持ちを切り替え、次に進むというメンタリティーで挑んでいきたいと思います。

卒業した学部

文学部 史学科

青山学院大学の文学部は、歴史・思想・言葉を基盤とし、国際性豊かな5学科の専門性に立脚した学びを通じて、人間が生み出してきた多種多様な知の営みにふれ、理解を深めることで、幅広い見識と知恵を育みます。この「人文知」体験によって教養、知性、感受性、表現力を磨き、自らの未来を拓く「軸」を形成します。
歴史学は、歴史史料を読み解き過去を再構成する、科学的・実証的な学問です。難解な史料との「格闘」は、事実に基づいて物事を判断し、自分の意見を述べる力につながります。また、「いま」とは異質な過去に気づくことは、「いま」とは違う未来を構想し、創り出す出発点にもなります。史学科では、日本史・東洋史・西洋史・考古学の視点から、多角的に学びを深めます。

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