牧師・チャプレンと
して命と真正面から
向き合う
病院チャプレン
OVERTURE
ルーテル教会の牧師にしてチャプレンである関野さんは、病院で最期を迎える人々の心に寄り添う一方で、ROCK牧師として教会の外でライブ活動をしています。一見、型破りでありながらも、「地の塩、世の光」*を体現しながら、命や誰もが避けては通れぬ死と真剣に向き合い、関野さんにとっての理想の聖職者像を探求しています。
* 新約聖書「マタイによる福音書」5章13~16節より。「地の塩」として周囲に尽くし、「世の光」として他者を導くこと。そして、その精神を体現し、自分の使命を見出して進んで人と社会とに仕え、その生き方が導きとなる「サーバント・リーダー」の育成が、本学の使命です。
チャプレンとしてコロナ禍まっただ中のアメリカへ
日本福音ルーテル東京教会の牧師を14年間務め、チャプレンとして病院で働くため、アメリカへ渡りました。チャプレンとは宗教施設以外で働く聖職者のことです。当初は2020年4月に渡米する予定でしたが、世界中が新型コロナウイルス感染症により混迷を極めていた時期で渡航は3回も延期となり、同年7月にようやくアメリカの地を踏むことができました。
私が勤務したのはミネソタ州ミネアポリスにあるアボット・ノースウェスタン病院という医療機関です。担当はコロナ病棟と精神科病棟で、特にコロナ病棟にはただならぬ緊迫感が漂い、最初は恐ろしく、頭痛や微熱も感じました。他のチャプレンにうかがったところ、幸いこの症状はコロナではなく極度の緊張からくるものだと分かり、徐々に慣れていきました。とはいえ現代社会が経験したことのない感染症と戦う最前線に飛び込み、患者さんのご家族や親しい方も面会できない中、医療従事者以外で集中治療室に入れる唯一の者として、死を前にした患者さんの心に寄り添う日々は試行錯誤の連続でした。
そのような中でも特に印象に残っている出来事は、ある患者さんの最期にイスラム教のチャプレンと一緒に立ち会ったことです。ミネアポリスは先進的なダイバーシティの街で、病院も患者さんの信仰を尊重し、僧侶やラビ(ユダヤ教における宗教的指導者)なども支援者として控えています。他宗教の聖職者を同僚に持ち、協力しながら働いたことは宗教の垣根を越える貴重な体験でした。
全ての患者さんたちの信条、宗教を尊重する為に院内ではクリスマスツリーを飾る事をしていませんでした。クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝うキリスト教の祭日であり、他の宗教を信じる人が祝えないからです。そこで私は全ての人が喜べる何かをクリスマスにできないだろうかと考えました。
ある日、コロナ病棟の患者さんに折り鶴を作って差し上げたところ「これを持って必ず退院し、一生の宝にする」とたいへん喜ばれ、アイデアを得ました。平和と癒しのシンボルである折り鶴をクリスマスシーズンに飾れないだろうか。この企画を病院に了承してもらい、折り鶴を送ってほしいと動画を投稿したところ、友人である青山学院初等部教員を介して児童たちが協力し、応援メッセージの動画もあわせて送ってくださいました。最終的には全国から16,000羽もの折り鶴が寄せられ、精神科病棟の患者さんたちと共にメインホールで飾り付けを行いました。カラフルな折り鶴のデコレーションは壮観で、好評をいただき、今も飾ってあるそうです。
青学は牧師という生き方の出発点
私は幼少の頃からルーテル教会の信徒でしたが、青山学院大学が牧師という生き方の出発点になったことは間違いありません。「地の塩、世の光」をスクール・モットーに、明治時代の初期からキリスト教信仰にもとづく教育を行う青学で学び、多感な時期を過ごしたからこそ信仰心をさらに育むことができたのです。
「キリスト教概論」の授業を担当された、大学宗教主任(当時)の嶋田順好先生は、さまざまな悩みを抱えていた私のために教室の外でも祈り、支えてくださいました。ゼミナール(ゼミ)では小原信先生のもとで「宗教の必要性について」というテーマで卒業論文を執筆しました。キリスト教と生命倫理を専門とする先生に学び、牧師としての礎を築かせていただきました。
所属していた青山キリスト教学生会(ACF)の仲間たちとは、今も深く強いつながりを保っています。先述の渡米の際、私がビザを取得した直後に外国人の入国を禁止する大統領令が出され、渡航できるかどうか分からない状況に陥りましたが、国際弁護士として活躍している同級生の友人に相談したところ、入国条件等を確かめ手助けをしてくれました。さまざまな分野で活躍している大学時代の友人と母校との絆は卒業して20年が経つ今も、どんどん広がり深まっていると実感しています。
肉親を失いかけて見つけた使命
私が大学3年生の時に、妹が命に関わる急性の病気にかかり、余命数日と医師に聞かされ、絶望の淵につき落とされました。神戸にいた旧知の牧師の先生にすがるような思いで電話をかけ、「神戸から祈っていてください」とお願いしたのですが、先生は東京まで駆けつけて祈り、最もつらい時間を病室で共に過ごしてくださいました。その姿に全身を貫かれるような衝撃を受け、自分も誰かが苦しんでいる時に寄り添える牧師になろうと決意したのです。妹は回復して今も元気に過ごしていますが、結果がどうであれ先生の背中を追おうという決心は揺らがなかったでしょう。
大学卒業後は日本ルーテル神学校で学び、新大久保にある国内のルーテル教会の中でも多くの方が礼拝に集う日本福音ルーテル東京教会で働きました。国際色豊かな新大久保は、ありとあらゆる人々が集まる街で、たくさんの出会いと得難い経験を積むと同時に、スクーリングで香港ルーテル神学校にも通い、博士課程を修了しました。
教会では病や肉親の死など、同じ苦しみを抱える信徒同士の関係が救いにつながる様子を目にすることがあります。そこで信徒が苦しみを持った人々を癒やす「信徒牧会者育成メソッド」をアメリカから導入し、信徒の方に協力していただいてプロジェクトを行い、結果を論文として神学校に提出しました。
香港には世界中から聖職者を目指す学生と先生たちが集まりますが、中でもミャンマーの学生の研究は衝撃的でした。軍の弾圧で村ごと焼き払われた人たちを、牧師がどうケアするかというテーマを扱っており、スケールの大きさと覚悟の強さを思い知らされました。香港の神学校では、欧米や日本ではできない貴重な経験を重ね、世界への理解をより深められたと感じています。
キリスト教はロック
他宗教とも積極的につながり共生を
メンバー全員が牧師の「牧師ROCKS」という音楽バンドのベーシストとしてライブ活動などを行い、青学でも礼拝の時間に演奏させていただいたことがあります。聖職者がなぜロックを、と思われるかもしれませんが、自分に正直であることを突き詰めると、私の場合はどうしてもロックにたどり着くのです。例えば旧約聖書の「詩編」を読むと、なぜ人生はこんなにも苦しいのかと神に問いかけ、時に歯向かうかのような魂の叫びであふれており、挑戦的な内容に感じられます。苦しむ人の心に共鳴する言葉を発して当時の常識を覆し、弱者に気持ちを寄せるという使命を貫いたキリストの生き方は、まさにロックそのものなのです。
また「坊主バンド」という僧侶のバンドグループとも友人で、一緒にライブを開催したり、私の著書の帯に言葉を寄せていただいたりしています。僧侶から推薦文をもらった牧師の本は前代未聞かもしれません。アメリカでイスラム教のチャプレンと同僚として働いた時にも感じたことですが、宗教の壁を越えて互いを理解し、協力し合うことこそ、本当の共生につながるのではないでしょうか。
チャプレンは、相手の言葉を受け止める存在
昨年2021年9月に帰国し、今は新しい試みに挑戦している最中です。日曜日には日本福音ルーテル津田沼教会で礼拝に集う方にメッセージを届け、平日は大阪府と神奈川県の病院でチャプレンの活動をしています。日本においてチャプレンはまだ浸透しているとは言いがたく、一部のキリスト教系病院にしか在籍していません。ところが現在勤めている病院はキリスト教系ではありませんが、チャプレンの重要性を感じてくださった医師のご尽力により、私の採用がかないました。また教会に常駐しない牧師もほぼ前例がないものの、信徒の方々の理解のおかげで、日本でもチャプレンとしての活動が実現できました。
例えば、お年寄りが「来年はきっとこの世にいないかもしれない」といった発言をすれば「そんなことはないですよ」、「まだお元気じゃないですか」などと返答するのが一般的ですが、チャプレンである私の答えは違います。「もう十分に生きたんですね」と相手の思いを否定せず、本音を語っていただくよう心がけています。当然ですが私も死んだことはありません。死について分からないながらも模索し、不安や孤独を和らげ、少しでも温かさを感じていただければと願い、相手の言葉に耳を傾けています。丁寧に対話を重ねていくと実は私の方が救われたり、教えられたりすることも多く、非常に豊かな経験をさせていただいています。
死に直面する医療現場で聖職者が活躍することこそが、日本における宗教のあり方ではないかと私は考えており、チャプレンという存在を認知してもらい、広めることが当面の目標です。
青学は高い志を持つ学生が学び、「地の塩、世の光」を体現する人を育てる大学です。牧師のロックバンドが神聖なチャペルで演奏することを許す懐の深さや自由な校風、国際的な視座から学生を後押しする学習環境があり、卒業後も温かく応援してくれる素晴らしい大学です。みなさんも青学生だからこそのユニークネスを持ち、各分野の最先端を極めてください。
卒業した学部
国際政治経済学部
青山学院大学の国際政治経済学部は国際社会への貢献を掲げ、国際系学部の草分けとして創設されました。3学科×5コース体制のもと、専門性と国際性、現場感覚を重視した学びを実践しています。グローバルレベルの課題への理解を深め、エビデンスにもとづいて議論・討論するスキルを養成します。領域を超えて学べる独自の学際教育、所属学科を超えて選べるゼミナールブリッジや英語で専門科目を学べるグローバル・スタディーズ・プログラム(GSP)等によって、世界の多様な人々と協働し、新たな価値を創造する実践力を育みます。
バックナンバー
電気電子工学科での学びと出会いで広がった視野、身に付いた積極性
理工学部 電気電子工学科 3年
幅広く芸術を学んで身に付いた、鑑賞力と印象を言語化して伝える力
文学部 比較芸術学科 3年
夢は日本のビジネスを支える弁護士。正確な知識と「説明できる力」で、司法試験に挑む
法学部 法学科 4年
将来を模索していた私が
経営学科で見定めた
公認会計士という目標
経営学部 経営学科 4年
研究を通して積み重ねた
挑戦と成功体験が大きな自信に
理工学研究科 理工学専攻 知能情報コース
博士前期課程2年
オリジナルの分子を使って
新たな核酸の検出手法を開発
理工学研究科 理工学専攻 生命科学コース
博士後期課程2年
*掲載されている人物の在籍年次や役職、活動内容等は、特記事項があるものを除き、原則取材時のものです。