理系留学生がアジアの視点で米国政治を学び、スポーツと異文化交流が新たな歩みを支える
(アメリカ・センテナリーカレッジ)

OVERTURE
アメリカのセンテナリーカレッジで数学と機械工学を専攻するマイケルさんは、本学が加盟するキリスト教メソジスト派の大学ネットワーク「メソジスト国際交換留学ネットワーク(Methodist International Student Exchange Network:MISEN)」を通じて、母校から初めて青山学院大学に留学しています。日本への留学は、ルイジアナのサッカー場で出会った日本人チームメートの勤勉さや礼儀正しいふるまいに感動したことから始まりました。現在、国際政治経済学部で新たな学問分野に挑戦し、日本の視点から母国アメリカの政治体制を客観的に見つめ直すという貴重な経験を重ねています。また、スポーツや文化交流、積極的かつ主体的なキャンパスライフを送り、文化や言語の壁を越えて持続的なつながりを築き、当初は半年の予定だった留学期間を1年間に延長し、充実した留学生活を送っています。
サッカーが切り開いてくれた、思いがけない日本への道
私は幼い頃から本格的にサッカーに取り組んでおり、現在はアメリカのセミプロチームに所属しています。日本とつながるきっかけとなったのは、2年前の夏、ルイジアナのサッカー場で2人の日本人選手と出会ったことでした。特に印象に残っているのは、彼らのフィールド内外でのプロフェッショナルな姿勢です。練習には必ず早く来て、集中してトレーニングに取り組む姿勢は本当に素晴らしいものでしたし、プレー中は激しく戦っても、試合が終わればとてもフレンドリーなチームメートでした。日本人の「勤勉さ」と「フレンドリー」という2つの印象が強く心に残り、それが日本文化を直接感じる貴重な経験となりました。
それ以前の日本への興味の出発点は、多くのアメリカ人と同じように、子どもの頃、いとこと一緒に『NARUTO』や『ドラゴンボール』といったアニメシリーズを観て、日本のポップカルチャーに触れたことがきっかけです。高校時代には、日本にルーツを持つ友人たちと仲良くなり、興味はさらに深まりました。彼らは日本語を話せませんでしたが、日本を訪れた経験や文化を体験した話を聞くことで、私の日本への関心は一層強くなりました。
2年前に出会ったサッカーチームの日本人選手たちは、英語が得意というわけではありませんでしたが、私に基本的な日本語のフレーズをいくつか教えてくれました。サッカーに対する情熱は言葉の壁を越え、英語と簡単な日本語、そしてスポーツという共通の「言語」を通じてコミュニケーションができました。この交流を通じて、スポーツには文化的な壁を超える力があることを実感しました。この経験は、後に青山学院大学での生活でも大いに役立つものとなりました。
日本についてもっと知りたくなり、オンラインでたくさんの動画を観ました。渋谷をはじめとする東京の魅力的な街を歩いて探索する動画を観ながら、日本での生活がどのようなものかを想像してみたのです。動画で観る日本は、その一部分にすぎないと分かっていましたが、それでも私の好奇心をかき立て、「日本を訪れて実際に体験してみたい」という気持ちをさらに強くしてくれました。
メソジスト国際交換留学ネットワーク(MISEN)で青山学院大学に留学する
私の母校、ルイジアナ州にあるセンテナリーカレッジでは、留学が卒業要件となっており、すべての学生に国際的な経験が求められています。3年次のある日、キャンパスで偶然見つけた日本の「AGU(青山学院大学)」を紹介するパンフレット、その内容が私の目を引き寄せました。「AGU」という存在を意識するようになると、夏学期には青山学院大学の学生がセンテナリーカレッジに留学していることも知りました。キリスト教のメソジスト派という共通の教派を通じて、両大学が「メソジスト国際交換留学ネットワーク加盟大学(Methodist International Student Exchange Network:MISEN)」でつながっていることを知りました。それから、「日本のAGUに留学する」ことを考えるようになりました。
MISENの協定を利用して日本に交換留学に応募をするという決断は、私にとって初めての大きな挑戦でした。センテナリーカレッジからMISENを活用して日本に留学する学生は私が初めてだったため、前例がなく、申請プロセスには自分自身の主体性と十分なリサーチが必要でした。担当アドバイザーが親身に協力してくれたおかげで、一緒に手続きを一つ一つ進め、最終的に無事、青山学院大学への交換留学を実現することができました。「日本で学びたい!」という強い気持ちが、私の留学のモチベーションを支えてくれました。たとえMISENを通じた留学が叶わなかったとしても、私はきっと他の方法を模索してでも、青山学院大学で学ぶ道を見つけていたと思います。
日本への留学準備は出発の3か月前からと短期間でしたが、その分、集中して取り組みました。ひらがなやカタカナを暗記するところから日本語の基礎を学び始め、初めて漢字も覚えました。日本到着時、自分の日本語力はとても実用的なレベルには達していないと自覚していましたが、言葉の壁を理由に、これから始まる日本での貴重な経験を諦めるつもりはありませんでした。
日本文化には、私が育った環境で学んだ価値観と共通するものがあると感じました。私の両親の出身地はカリブ海にあるトリニダード・トバゴ共和国です。歴史的に旧英領としての誇り高い国民性を持つトリニダード・トバゴで育った両親は、幼い頃から私に敬意や礼節の大切さを教えてくれました。そのおかげで、日本の社会的規範にも自然と適応できる下地があったのだと思います。こうした文化的な共通点のおかげで、言葉の壁があっても日本での生活に適応できるという自信を持つことができましたし、実際に驚くほど快適です。来日前から、「日本は安全で清潔な国」として評判が高いと聞いていましたが、日本での生活を通じて、それが日本人の細やかな配慮と心遣いによって維持されていることを目の当たりにしました。日本の素晴らしさを日々実感しています。エスカレーターの利用マナーなど、日本特有の暗黙のルールを覚える過程では、ユーモラスな学びの経験もありましたけれど(笑)。
積極的なキャンパスライフを送り、コミュニティーを見つける
当初、青山学院大学での留学期間は前期のみの半年間でした。その限られた時間を最大限に活用しようと、私は積極的に新しいキャンパスライフに身を投じることを意識的に決め、行動に移しました。この姿勢のおかげで、いくつものサークルやクラブに参加することになり、それぞれの活動が、私に貴重なつながりや成長の機会を与えてくれました。
最初のきっかけは、チューター(留学生の大学生活をサポートしてくれる日本人のボランティア学生)が学内のフットサルサークルを紹介してくれたことです。私が唯一の留学生だったので、メンバーは英語で対話することに戸惑っている様子でしたが、すぐにスポーツが言語や文化の壁を越える普遍的な「共通の言語」であることをお互いに実感するようになりました。私が日本語でコミュニケーションを取ろうと努力する姿勢が、その壁を取り払う助けになったようにも感じています。忘れられない経験のひとつは、新潟への週末合宿です。日本の美しい田園風景を初めて目にしましたが、とても不思議なことに、カリブ海にある両親の出身地トリニダード島の田舎の雰囲気とどこか通じるものを感じ、とても印象的でした。
フットサルサークルへの参加をきっかけに、青学コミュニティーでの交流がさらに広がりました。その後、気軽に楽しめる国際交流サークルと「Savor Youth異文化交流・食文化愛好会」にも参加するようになりました。国際交流サークルでは、複合レジャー施設「ラウンドワン」に遊びに行ったり、ピクニックに出かけたりと、カジュアルな活動をしています。Savor Youthでは、料理や食文化をテーマに、日本人学生と外国人留学生が交流を深める活動が中心です。それぞれスタイルは異なりますが、どちらのサークルも多様な背景を持つ学生同士をつなぐ役割を果たしています。こうしたサークル活動を通じて、日本文化のさまざまな側面を体験し、幅広い人々と出会うことができました。
キャンパスでは、「インターナショナルコモンズ」が私の生活の中心となっています。特に、チャットルームの英語チャットリーダーとして、日本人学生がリラックスした雰囲気で英会話を練習できるよう活動しています。多くの学生が英語学習に高い意欲を持っていて、毎日のように通ってくれる常連の参加者もいます。特に嬉しいのは、オープン当初は主に留学生向けに利用されていたインターナショナルコモンズが、半年後には日本人学生と留学生が自然に交流できる統合的な環境へと進化していったことです。こうした変化を間近で見ることができるのは、とてもやりがいがあり、貴重な経験となっています。
また、インターナショナルコモンズが主催する国際交流イベントは、趣向を凝らした楽しい企画ばかりです。私もその一つ「International Talent Night」で、思いがけずK-popダンスのパフォーマンスグループに唯一の男性メンバーとして参加することになりました。最初はためらっていたのですが、友人からの何気ない誘いが、私自身を快適な領域から引き出し、仲間の学生たちと深いつながりを築くことができた忘れられない経験へと変わりました。
理系留学生が国際政治経済学部で学び、日本から客観的にアメリカ政治を見つめる
母校で数学や機械工学を専攻していた私にとって、青山学院大学の国際政治経済学部での学びは、大きな変化をもたらしました。これまで数式や数値を使った問題解決が中心だった学習スタイルから、議論や文章作成に重点を置いた授業へと変わり、その違いが新しいスキルや視点を身に付けるきっかけとなりました。
「Negotiation Communication[英語講義]」のクラスは特に刺激的で、タイ、ルーマニア、日本などさまざまな国の学生とグループワークを行う機会がありました。この経験を通じて、問題解決やコミュニケーションに対する異なるアプローチを学び、文化的背景が思考のパターンにどのように影響を与えるかを理解することができました。また、クラス内の国際性や多様性を通じて、アメリカの母校ではあまり触れる機会のなかったアジアの視点を学ぶことができたのも、非常に貴重な経験でした。
最も難しく、そして最もやりがいのある経験になったのは、「アジア政治入門[英語講義]」の授業です。アジアの政治体制についてほとんど知識がなかった私にとって、この授業で求められる多くの読書やライティング課題は、最初は圧倒されるものでした。 しかし、この挑戦を通じて新たに「政治」に対する関心が芽生え、母国アメリカの政治体制を日本の視点から学ぶために、「Issues in Contemporary American Society[英語講義]」も履修することにしました。自国を離れ、日本から客観的にアメリカの政治問題を見つめることで、国内では感情的になりがちなテーマも冷静かつ客観的に分析することができました。この経験は、私にとって非常に価値のある学びとなりました。
日本の大学の学修システムにも適応する必要がありました。アメリカでは1科目×週3回授業を受けるのが一般的ですが、日本では、週1回の授業が中心で、その前後に自律的に予習や復習を行うことが求められるスタイルであることを知りました。この学修スタイルに慣れるまでは大変でしたが、日本人の友人たちを通じて、効果的な学修態度や時間管理の重要性を学ぶ貴重な機会も得ることができました。
また、2024年にオープンしたばかりの新しい図書館(「マクレイ記念館」(図書館・情報メディアセンター))は静かに勉強するための理想的な環境です。集中して勉強するのにとても役立っています。青山学院大学での生活があまりに充実して楽しかったので、結果的に留学期間を延長し、1年間滞在することになりました。
Comfort Zoneから一歩踏み出し、人生を切り拓く
来日する前は、日本人は保守的な服装をし、控えめな振る舞いをする、画一的な国民性というイメージを抱いていました。しかし、実際に日本で生活してみると、私が抱いていた先入観を覆してくれました。特に青山キャンパス周辺の活気ある渋谷エリアで目にした現実は、想像以上に多様でダイナミックなものでした。中でも驚いたのは多様化したファッションの価値観です。青山学院大学の学生たちは個性的なスタイルで自分らしさを表現していますし、古着屋を巡って掘り出し物を見つける古着カルチャーが盛り上がっていることも知りました。こうした発見を通じて、私は日本の新しい一面を知ることができました。
私の東京探索は、地図上でランダムに場所を選び、その最寄り駅周辺を歩きながら偶然の出会いや発見を楽しむという、計画性のない冒険スタイルです。神奈川県に住んでいることもあり、都心を越えて都下まで探索する機会が増えました。その中で、溝の口のような観光地とは異なる、日常生活が息づくエリアに自然と引かれるようになりました。このスタイルで、隠れた古着屋やユニークな街並みなど、数多くの発見をしてきました。中でも特に印象的だったのは、サッカーのボランティアコーチとして練習場へ向かう途中に調布で偶然見つけたアメリカンスタイルの洋服店です。こうした思いがけない発見が、私の東京での冒険をさらに特別なものにしてくれています。
日本での課外活動の中で、特にやりがいを感じているのは、12歳までの子どもたちを対象に英語でサッカーを指導することです。サッカーの技術や情熱を英語教育と結びつけることで、子どもたちと楽しさや達成感を共有しています。縁と意義を感じるのは、今、私がサッカーを通じて日本の次世代の子どもたちにその楽しさを伝えられていることです。それは、ルイジアナで日本人のチームメートが日本文化を私に共有してくれたことを思い出させます。このサッカー指導と、青学でのチャットリーダーの役割は、自分の特技を生かしてコミュニティーに貢献できているという実感と、新しいスキルを身に付ける機会の両方を私に与えてくれます。
いつか留学を考えている皆さんへのアドバイスは、まず日常生活の中で「予期しないことを受け入れること」、そして「自分の快適な領域(Comfort Zone)から一歩踏み出してみること」です。例えば、サークルに参加してみる、インターナショナルコモンズでまだ友人ではない学生に話しかけてみるなど、小さな一歩がその後、ポジティブなドミノ効果を生むことがあります。その一歩が、あなたの経験をさらに豊かにし、国籍を超えた一生の友人との出会いへとつながるかもしれません。
半年間の“冒険”としてスタートした日本への留学は、1年間に延長したことによって、日本人や日本文化に対する私の視点を大きく形作る“長い旅”へと発展しました。母校に戻った後も、引き続き学びを深めながら、エンジニアとしてのキャリアにおける将来の可能性を見据え、青山学院大学で得た貴重な教訓とつながりを大切に心に刻んでいきます。文化の違いを乗り越える方法や、新しい学びの環境に適応する力など、ここで培ったスキルや経験は、これからの道のりで間違いなく私を支えてくれるはずです。

MON | 3 13:20 p.m〜14:50 p.m | Negotiation Communication[英語講義] |
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オンライン授業 | 国際経済A[英語講義・オンライン] |
TUE | 3 13:20 p.m〜14:50 p.m | Human Rights Issues in the World[英語講義] |
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4 15:05 p.m〜16:35 p.m | 国際コミュニケーション総論Ⅱ[英語講義] |
WED | 2 11:00 a.m〜12:30 p.m | Issues in Contemporary American Society[英語講義] |
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4 15:05 p.m〜16:35 p.m | 日本文化論[英語講義] | |
5 16:50 p.m〜18:20 p.m | メディアスタディーズⅡ[英語講義] |
THU | 4 15:05 p.m〜16:35 p.m | 国際関係論入門[英語講義] |
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カリキュラム & 履修科目 (交換留学生)




国際センター
国際センターは、大学の国際化に関わる教育支援と国際人育成をサポートしていきます。主な業務は、海外協定校・認定校への「留学生派遣」と、海外協定校からの「留学生の受入れ」、私費留学生のサポート、そしてそれらの学生向けの奨学金業務、夏期春期に行われる短期語学・文化研修などのプログラムの企画・運営等を担います。各国の多様な文化や慣習および学生の異なる価値観を尊重しながら、海外大学と本学との連携をさらに強化・拡充していきます。
