不屈の心で大きな夢を追いかけた4年間。前人未踏のヒマラヤ「プンギ」登頂を達成

掲載日 2025/3/17
No.341
<2024年度 学友会表彰(体育会表彰)最優秀選手受賞>
文学部 史学科 4年
井之上 巧磨
東京・私立桜美林高等学校出身

OVERTURE

2024年10月12日午後0時19分、体育会山岳部主将の井之上巧磨さんと東京大学、立教大学、中央大学の学生5人から成る「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」が、ネパールのヒマラヤ山脈にある標高6,524メートルの未踏峰「プンギ」の登頂に成功しました。総隊長としてチームを率いた井之上さんは、「未知なるものを切り拓く経験を積むことができた」と語ります。決断する力や問題解決能力、多少のことには動じないメンタリティなど、多くのものを得た偉業達成までの道のりを振り返っていただきました。

世界を目指すために山岳部に入部。歩み出したプンギへの道

プンギの頂を踏んだあの瞬間、言葉にできない感情があふれ出しました。生きていること、山頂まで来られたこと、周りに信頼する仲間がいること、すべてがうれしくて、高揚感と幸福感に包まれ、ただ叫びました。人類がまだ到達していない「未踏峰」に立つ夢をひたすら追いかけ続けたこの4年間。多くの辛かったこと、苦しかったことが昇華され、「歩んできた道は間違いではなかった」と心の底から思いました。

大学に入るまで登山経験は高尾山くらいしかなかった私が体育会山岳部(山岳部)に入部したのは、「人生に一度くらい世界を目指して何かに取り組む経験をしてみたい」と思ったからです。体育会に所属することを決めていろいろな部活を調べる中で、過去の実績を見て、山岳部であれば大学から始めても世界で勝負できるところまでいけるかもしれないと考えました。また、「未踏峰」という言葉も知り、「格好いいな」と強い憧れを持つようになりました。

ロープをつなぎ、命を預け合った仲間とプンギでの記念の一枚(左が井之上さん)

週に1度の部会で山についての知識を付けつつ、ボルダリングとランニングで体力づくりをし、週末は山に入る生活を続けてきました。入部当初はコロナ禍の影響で同期や一つ上の先輩がいなかったため、2年次にはリーダーを務めることになり、後輩の身を守る責任を全うしようという思いもトレーニングの原動力になりました。合宿は年3回あり、中でも思い出深いのが1年次から3年連続で厳冬期の槍ヶ岳に挑んだ冬合宿です。1年目は天候の急変、2年目は後輩のぎっくり腰で下山を余儀なくされました。特に2年目は、夏であれば4時間ほどで登れるルートに4日かかるほどの積雪に苦しみ、あと少しのところで断念することになってしまいました。悔しさは大きかったものの、今振り返ると私がリーダーとしてもっとケアできる部分があったと思います。3年目はトレーニングから見直して新入生も徹底的に鍛え上げ、細かいフォローも欠かさないようにしました。その結果、ついに山頂にたどり着くことができ、山では小さな積み重ねが非常に大事であることを知りました。そこで得たノウハウや諦めない精神力、チームをまとめる統率力はプンギ登頂につながる大事な要素だったと思います。

登攀力を鍛えるボルダリングのトレーニング中

隙間時間も活用し、学業と山を両立。
歴史を学び、過去の事象のつながりを知る面白さ

学業においては、山に行く時間を確保するため、いかに効率よく勉強するかを意識していました。レポートなどはある程度書く内容を歩きながら頭の中で考えておき、電車での移動時間に使用できそうな参考文献の目星をつけることで、図書館で迷うことなく必要な情報を手に入れるよう工夫しました。そして、あらかじめ考えておいた筋道に沿ってすぐに書き始めることを実行していました。

大学進学を考える際には就職に強そうな学部を選ぼうと考えていた時期もありましたが、受験当時はコロナ禍の真っただ中で、オンライン授業が主流になる状況を踏まえ「本当に大学で学びたいことは何か」を自問しました。その結果、高校時代に一番好きだった歴史分野を勉強しようと決意し、文学部史学科を選択しました。

山岳部では春や秋はロッククライミング、冬は雪山やアイスクライミングと、シーズンに合わせたアクティビティを行っている

歴史上の一つ一つの出来事は単発で起きたのではなく、そこに至る経緯があり、すべてつながっていることに歴史を学ぶ面白さを感じています。3年次には、日本の歴史の源流となる日本古代史を専門にされている北村優季先生のゼミナール(ゼミ)に所属しました。ゼミの活動では、京都・奈良へのフィールドワークが大変楽しかったです。特に印象に残っているのは、夜一人で散歩に出かけた際、とある神社で強い恐怖を感じたことです。「神聖な場所であるはずの神社で、なぜ恐怖を覚えたのか」という疑問が湧き、その背景について調査をしました。

文学部の共通科目「物語文学Ⅰ」を履修したことで、それまであまり興味のなかった古典文学の面白さに気付きました。竹取物語をさまざまな古典文学と関連付けて考察する内容がとても興味深く、高校時代に学んだ古典の授業よりも自由な発想で深く学べたことが印象に残っています。また、史学科にいながら他学部の授業を選択できる制度や「青山スタンダード」科目を活用することで、学部や学科の枠を超えて幅広い分野に触れることができました。この制度を通じて、自分の専門分野を多角的に理解できるようになったと感じています。

情報があふれる現代に未踏峰に挑戦する意義とは

未踏峰への挑戦を決意した理由は、大きく2つあります。一つ目は、便利で情報があふれたこの時代に、本来の登山の形を体現したかったからです。行ったことのない難しいルートでも、いまはブログ記事などを読めば手に取るように詳細を知ることができ、エベレストは商業化されてベースキャンプから山頂までロープが張られています。門戸を開く意味では、それは良いことだと思います。ただ、未知なる山やルートを自分たちの力で開拓し既知なるものへと変えていくその探検的精神こそが、登山というアクティビティの大きな意義ではないかと思ったのです。
二つ目は、大学山岳部の存在と活動を世間にもっと知ってもらいたかったからです。幸い、青学の山岳部は私の二つ下の代から部員数が増えていますが、他大学では部員が1~2名というケースも珍しくありません。遠征を通して「現代にも山に青春を捧げる若者がいる」ことを発信して応援してもらうことが、再び大学山岳部を盛り上げる第一歩なのではないかと考えました。

「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」を結成したのは、遠征実行の約1年半前です。今回のタイミングでは青学単独メンバーでの挑戦は難しいと判断し、他大学に声を掛けてみることにしました。ちょうどその時期に公益財団法人日本山岳会の学生部で委員長を務めていたので、各大学の代表者が集まる定例会で参加を呼びかけたところ、東京大学、立教大学、中央大学の各大学で主将や副主将をしている仲間が集まり、今回のメンバーが決まりました。

「経験豊富なOB・OGの力を借りず、学生だけで成し遂げる」ことを目標にしていたので、自分たちの実力と照らし合わせながら、挑戦する山を慎重に選びました。高度な登攀技術ではなく、体力勝負ができ、そして過去にどこかの隊が挑戦してある程度の情報が得られる山——その条件に合致したのが「プンギ」でした。山探しには、史学科で学んだ「まずは一次資料に当たる」という考え方が役立ったと思います。インターネットで「unclimbed peak(未踏峰)」と検索すると、真偽不明の膨大な情報がヒットしますが、最初にネパール政府が公式に発表している未踏峰リストに当たったことで、リサーチを効率的に進めることができました。

富士山ガイドの仕事で高所の酸素濃度に体を慣らしながら遠征費用を作った

遠征期間は、最大4回アタックすることを想定して2ヵ月間に設定しました。費用の半分は自分たちで工面し、残りは日本山岳会やOB・OG会にプレゼンをさせていただき、寄付を募ったところ、幸いにも目標を上回る額が集まり本当に有り難かったです。円高の影響や物価高、高額な関税などで想定以上の費用がかかり遠征中は節約生活になりましたが、それも今となっては良い思い出です。

立ちはだかった巨大クレバスを越えて、ついに夢見た頂へ!

登頂を成功させるためには、総隊長としてチームワークをどこまで高められるかが重要な鍵の一つだと考えていました。遠征前の冬には、数日おきに雪山に入りチーム全員で時間を共にすることで、それぞれの登山レベルや考え方、性格などを理解し合いました。率直に意見を交わしてお互いを思いやることで信頼の強い良いチームを築くことができたと思います。
しかし、どれほど綿密に計画を立てて慎重に準備をしても、壮大な自然と対峙する登山ではリスクを完全になくすことはできません。安全第一を心掛けることはもちろんですが、慎重になりすぎると何もできなくなってしまうことも事実です。その点、私自身は「ここは進むべき」「ここは撤退すべき」という判断をするのが得意なので、持ち前の「慎重な大胆さ」を生かしてリーダーとしての判断を練習の段階から明確に伝えるようにしていました。「なぜこの判断をするのか」を根拠とともに説明することで、次第に「井之上が言うことなら大丈夫だ」とチームの信頼を得られるようになったと感じています。

山頂へと雪面を登る

遠征中は、総隊長である私が悲観的になるとチーム全体の雰囲気が悪くなるため、高山病で皆がつらいときなども、できる限り明るく振る舞うよう努めました。基本的には精神的にもタフなメンバーばかりでしたが、ファーストアタックにおいて予定していた最終キャンプ地まであと100mという地点で予期せぬ巨大なクレバス*帯が現れたときには、さすがに動揺を隠せませんでした。クレバスが原因で登頂を断念するケースは少なくありません。けれども、このとき誰一人として後ろ向きな言葉を口にすることはなく、出発からすでに15時間以上登り続けていたにもかかわらず、全員が残る力を振り絞って突破できるルートを探しました。

ベースキャンプにて隊員とネパールのエージェント会社の方々との集合写真

翌日、山頂に向けアタックをしましたが、高度6,000mを超えて全員が軽い高山病にかかっていたこと、必要な道具が不足していたこと、そして4回アタックできる期間を確保していたことなどを総合的に判断し、撤退を決断しました。もう一度同じ道を登ることを考えるとしんどくもありましたが、ベースキャンプに戻って気持ちを切り替え、1週間後セカンドアタックを開始。10月12日午後0時19分初登頂に成功しました。4年間の夢が叶い、「登山をやっていてよかった」と心の底から思いました。しかしながら喜びも束の間。次に感じたのは強い恐怖でした。空は宇宙のように少し青黒く、視界に入るのは見渡す限りヒマラヤの山々。ここは生命の生きる環境ではないのだと実感し、とんでもないところに来てしまったと思ったのを覚えています。結局山頂には10分も滞在せず下山しました。

*氷河や雪渓などに形成された深い割れ目

関連リンク:【山岳部】井之上巧磨総隊長(文学部 史学科4年)率いる「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」がヒマラヤの未踏峰「プンギ」に世界初登頂 | 青山学院大学

これからも自分の価値観を軸に生きていきたい

今回の遠征を通して最も辛かったことの一つが、車での移動です。それほどネパールの道路事情は厳しく、首都カトマンズ付近の道ですら土砂崩れがそのまま放置されている現場を目にすることもありました。私は、電波や車がない生活の良さを知っていますし、手つかずの自然はそのままであってほしいと願っています。しかし、それでも人々が安全に暮らせるためのインフラ整備は必要だと感じ、将来はその道を拓くようなことができないだろうかという思いが芽生えました。
登山は9割9分がつらいことですが、残りわずか1分の「山をやっていてよかった」と思う瞬間があるからこそ、また挑戦をしたくなります。将来、仕事においてもやりたくないこと、つらいことがたくさんあると思いますが、それをひっくり返せるほどの喜びがあれば、人生はきっと楽しくなるはずです。その小さな喜びを求め、夢中になれる仕事がしたいと考えています。

プンギ下山後、今回の登頂を多数のメディアで報道していただき、たくさんの反響がありました。大学山岳部の存在をアピールするという目的を果たすことができてしばらくは沸き立ちましたが、その後みんなで話したのは「大切なのは他者からの評価ではない」ということです。私は信頼する仲間4人と、自分たちの持てるだけの力を使ってアタックをかけ、過酷な自然環境の中で戦いました。今回は運良く成功して幸いにも評価をいただきましたが、これがもし失敗していたとしても、自分の中では最高に価値のある挑戦だったことに変わりはないだろうと確信しています。これからも、「自分の軸=自分の価値観」で生きていきたいと強く思っています。

山頂手前。尾根が開けて緩やかになる

※各科目のリンク先「講義内容詳細」は掲載年度(2024年度)のものです。

文学部 史学科

青山学院大学の文学部は、歴史・思想・言葉を基盤とし、国際性豊かな5学科の専門性に立脚した学びを通じて、人間が生み出してきた多種多様な知の営みにふれ、理解を深めることで、幅広い見識と知恵を育みます。この「人文知」体験によって教養、知性、感受性、表現力を磨き、自らの未来を拓く「軸」を形成します。
歴史学は、歴史史料を読み解き過去を再構成する、科学的・実証的な学問です。難解な史料との「格闘」は、事実に基づいて物事を判断し、自分の意見を述べる力につながります。また、「いま」とは異質な過去に気づくことは、「いま」とは違う未来を構想し、創り出す出発点にもなります。史学科では、日本史・東洋史・西洋史・考古学の視点から、多角的に学びを深めます。

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