サーバント・リーダー
の精神の根底に息づく
のは「社会への感謝」
代表取締役会長兼社長
OVERTURE
ガス給湯器やガスコンロなど多様なガス機器の開発・製造・販売を行う株式会社パロマ(以下パロマ)。小林弘明さんはその創業家に生まれ、現在は代表取締役会長兼社長としてグローバルに活躍されています。小林さんは、青学での学びや経営者としての活動を通じて育まれた「サーバント・リーダー」*の精神を礎として、学生の就学支援をはじめとしたさまざまな社会貢献活動に取り組まれています。
* 自分の使命を見出して進んで人と社会とに仕え、その生き方が導きとなる人。
社会へのご恩返しを「万代基金」に託して
今年の第98回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)では、青学の陸上競技部(長距離ブロック)が見事6度目の総合優勝を果たされました。卒業生の一人として、私も今回の快挙を大変嬉しく思っております。箱根駅伝で活躍する後輩たちの姿に勇気づけられるとともに、自らの学生時代を改めて思い起こすようになりました。近ごろでは周囲の方々からも「小林さんも青山学院大学のご出身なのですね」「駅伝優勝おめでとうございます」と親しくお声掛けをいただくようになりました。
自由な校風の中、さまざまなことを柔軟に吸収した青学での日々は私の財産です。在学中に得たご縁や、皆さまにいただいたご恩に感謝して、このたび個人として10億円を青山学院に寄付させていただきました。寄付金は青山学院の「万代基金」に組み入れられ、未来を担う若者への奨学金として使っていただけるということで非常に喜んでおります。私は会社経営者として多くの方に支えていただき、ここまで来ることができました。私の胸には「社会からいただいた大きなご恩に少しでもお返ししたい」という強い思いがあります。
世界へと視野を広げてくれた青学、そしてアメリカでの学び
パロマの創業家に生まれた私は、幼い頃から次期社長として期待されて育ちました。しかし少年時代の私はあまり前に出るタイプではなく、いわゆるガキ大将型のリーダーシップとは無縁でした。また工業メーカーという家業の関係もあり、代々の社長は理系出身なのですが、なぜか私だけは文系タイプだったのです。理系に強い一族の中で自分が“異色”の存在であることに引け目を感じ、「果たして自分は社長としてしっかり会社を背負っていけるのだろうか」と悩んだこともあります。
高校を卒業した後は地元の名古屋を離れ、青山学院大学に入学しました。慣れ親しんだ故郷を離れて、視野を広げたいと考えたからです。経営学部経営学科に進んだ私は、岩元岬先生のゼミナール(以下ゼミ)に入りました。ちょうどヨーロッパがECからEUへと大きく変化する時期のことで、「社会主義国家の衰退と自由経済主義国家の繁栄」という岩元ゼミの研究テーマに関心があったからです。ゼミでは、当時ドイツを東西に分断していた「ベルリンの壁」が崩壊し、実際に現地を訪れた先輩のお話を伺う機会などもあり、時代の新たなうねりや大きな変化をリアルに感じることができました。私自身も、「グローバルな経営を行う日本企業の海外直接投資」を卒業論文のテーマとしました。ゼミの雰囲気は和気あいあいとしていましたが、学問に向き合う先輩方の姿は真剣で、大きな刺激を受けたことも覚えています。台湾で開催された「亜東関係協会」の研修会に参加させていただいたことも、良い経験になりました。自分が経営者となった今でも、経済や社会の仕組みについて考えるときには岩元ゼミでの学びを振り返ることが多々あります。
大学卒業後はすぐパロマに入社しました。とはいっても配属先は、1988年に買収したアメリカの会社です。これは「視野を広げるために、ぜひ海外に行っておきなさい」という父のアドバイスによるものでした。当時の該当の会社は立て直しが必要で、そのために現地の社員と一緒になって働きました。そして、「この経験は、日本に帰ったときに良いヒントになるのではないか」と考えるようになりました。
約4年後に帰国した私は、同僚とともに業務に新しい工夫を重ねていきました。実のところ、当時のパロマの商品開発や経営戦略は世の中から遅れかけており、業績も下降気味でした。しかし私たちの改善案が製品に反映されると少しずつ商品が売れ始め、お客さまからお褒めの言葉をいただくことができたのです。自らが創業家を継ぐに足るか悩み続けてきた私にとって、これが喜びと自信を与えてくれた初めての出来事でした。
工夫を重ね、提案をし、お客さまに喜んでいただける手応えを感じて、私は少しずつ変わっていきました。今にして思えば、文系出身という私の個性にも、理系中心の企業文化に多様性をもたらすという意義があったのかもしれません。実は父は早くからそれを見抜いていて、改めて私に後継を任せてくれたのだと思えるようになりました。
「サーバント・リーダー」と社会貢献への思い
しかし本当の意味で私の経営者としての姿勢が「変わった」のは社長に就任してからのことです。会社を継いだ直後に製品事故が起こり、企業としても存続が問われる事態となりました。一時は会社を売却するという話まで出ましたが、なんとか会社が立ち直ることができたのは、ひとえに周囲の方々の支えがあったからです。危機的な状況に陥っても会社を見放すことなく応援してくださったお客さま、人生を懸けて働き続けてくれた社員。そのような方々の姿に、私は「どうあっても会社を再建しなくてはいけない。そしてこの危機を乗り越えるためには、会社を根本から変えないとダメだ!」と改めて覚悟が決まりました。
とはいっても、課題は山積みです。悩み抜いていたときに頭をよぎったのは、子どもの頃の記憶にある社員の笑顔でした。かつて父の会社で働いていた社員は皆生き生きしていたのです。私が成長するにつれ、部門を越えて自由な議論が交わされる風通しの良い社風も肌で感じていました。「そうだ、あの笑顔を取り戻せばいいのだ」という答えが心に浮かび、この思いで改善を続けていけば会社は絶対に再建できると確信したのです。
それからは会社としてあるべき姿や、自分なりの新たなリーダー像を築くため、多くの方々にお話を伺いました。当時の私は「サーバント・リーダー」という言葉は知りませんでしたが、「お客さまの気持ちに一歩でも近く寄り添い、社員が幸せに働ける会社をつくるためには自分に何ができるだろう」と必死に走り続けるうちに、目指す経営者像は自然と「サーバント・リーダー」の姿に近づいていったように思います。自ら真摯に努力を重ねて社会の中での役割をしっかりと全うすれば、お客さまからポジティブなお声が聞けるようになります。お褒めの言葉をいただくことで社員の笑顔も増え、それが新たなモチベーションにつながっていきます。この好循環を大きく育てていきたい、そういった思いが私なりの経営理念の根底にあります。
個人としても、企業のトップとしても、社会の皆さまへの感謝がいつも心の中にあります。そのご恩返しの一端として、企業としても手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ」の寄贈、「パロマ環境技術開発財団」や「小林奨学財団 」の設立、文部科学省「トビタテ!留学JAPAN」支援などを行ってきました。「ダ・ヴィンチ」は内視鏡手術などの際、傷口を最小限に抑えて患者さんの負担を軽減する手術支援ロボットです。「小林奨学財団 」は、ひとり親家庭や児童養護施設に身を置く子どもたちの進学を支援するものです。社会の宝である子どもたちが進学の夢をかなえてキラキラと輝き出していく姿に胸が熱くなり、改めて就学支援の必要性を痛感したことが、今回の「万代基金」への寄付にもつながりました。
平和の象徴である鳩を意味するスペイン語の「パロマ」。このブランド名が生まれた1950年代、世間ではまだ薪や練炭を使って火を起こすのが⼀般的でした。その時代に「スイッチひとつで火がつく、お湯が出る」ガス機器を広く発売したときにはお客さまに本当に喜んでいただき、工場の前にはパロマ製品を求める方々の列ができたと聞いています。そのときのパロマの社員たちは「自分たちの仕事で世の中が便利になっていく、社会に貢献できている」という確かな喜びを感じていたはずです。時代が移り変わっても、その喜びはパロマの中に生き続けています。
一つ一つの学びを大切にして、自らの人生を明るいものに
大学生の皆さんには、できるだけ早い段階で自分の将来像をイメージしておくことをお勧めします。人生のビジョンを具体的にしておくことで経験や学びを効果的に吸収できるようになるからです。そうして経験を積み重ねていくと、一見バラバラの点にしか思えなかった知識や経験、大学での学びなどが、あるとき、一気にすべてつながって理解できるようになります。これは私の実体験です。そのためにも、一つ一つの学びを大切にしてみてください。
振り返れば私の人生にもいろいろな出来事がありました。もがきながらも乗り越えてきた今では、人生は充実したものとなっています。何かつらいことがあったとしても諦めなければ、いつか人生が楽しくなる日がきます。どうか希望を大切にしてください。若い方へのメッセージとして、私は皆さんにそれを強くお伝えしたいと思います。
卒業した学部
経営学部
21世紀を見通す長期展望のもと、企業の視点で考える「経営学科」と消費者の視点で考える「マーケティング学科」の2学科で、企業と社会(消費者)という、2つの方向から現代の経営を照射し、その飛躍、発展に資する先端的な研究・教育拠点を目指します。 50年以上の歴史と伝統を持つ「経営学科」では経営のプロに普遍的に求められる会計・金融・マネジメントにおける先端理論と実践技術を提供します。 「マーケティング学科」では青山キャンパスがある“渋谷・表参道エリア”という国際性、創造性に富んだ地の利を生かして、消費者が真に求める文化、情報、感性といった面をビジネスに導き入れ、独自のマーケティング学“青山マーケティング”の確立を目指しています。 2学科は学問的成果を共有し、ビジネスの最前線情報に接することができる授業を充実させるなどして、氾濫する情報に踊らされることなく、自ら意思決定を行い、未来を切り拓く力を養っていきます。
バックナンバー
電気電子工学科での学びと出会いで広がった視野、身に付いた積極性
理工学部 電気電子工学科 3年
幅広く芸術を学んで身に付いた、鑑賞力と印象を言語化して伝える力
文学部 比較芸術学科 3年
夢は日本のビジネスを支える弁護士。正確な知識と「説明できる力」で、司法試験に挑む
法学部 法学科 4年
将来を模索していた私が
経営学科で見定めた
公認会計士という目標
経営学部 経営学科 4年
研究を通して積み重ねた
挑戦と成功体験が大きな自信に
理工学研究科 理工学専攻 知能情報コース
博士前期課程2年
オリジナルの分子を使って
新たな核酸の検出手法を開発
理工学研究科 理工学専攻 生命科学コース
博士後期課程2年
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