パワーリフティングとボディビル、2つの競技で全国優勝。将来は新聞記者を目指す

掲載日 2024/3/25
No.291
<2020~22年度 学友会表彰(体育会表彰)優秀選手受賞>
<2023年度 学友会表彰(体育会表彰)最優秀選手受賞>
総合文化政策学部 総合文化政策学科 4年
堀越 百恵
茨城・私立常総学院高等学校出身

OVERTURE

パワーリフティング部主将で女子63kg級の堀越百恵さんは、大学選手権大会では世界大会総合12位、国内大会優勝・女子最優秀選手賞の輝かしい成績を納め、競技を引退しました。4年次ではボディビルにも挑戦し、全日本学生ボディビル選手権大会で新設された「女子ビギナーズフィットネス部門」の初代優勝者という成果を残しました。意外にも、本格的にスポーツ競技を開始したのは高校から。学業にも競技にも全力で打ち込み、卒業後は新聞社に就職し、将来は新聞記者を目指します。その積極的なチャレンジの背景を伺いました。

パワーリフティング挑戦の原点は「自分がなりたい自分」への憧れ

小学生の時、鍛え抜かれた身体は格好良いと感じ、「腹筋を割ってみたい」と女子の友達に話したところ「女の子なのにおかしいよ」と返されて落胆したことが、自分の理想を追求することの意義について考えるきっかけになった原体験です。中学では美術部に入部し、身体を鍛えることとは無縁な生活を送っていたものの、性別に関わらず理想の体型に憧れを持っても良いのではないか、と思うようになりました。

パワーリフティングとの出会いは高校入学直後の新入生歓迎会です。入学した高校は地元ではなく、バスで片道40分の距離の高校にあります。本意ではなく悔しさもあり、地元の恩師や友人に対して「離れても私を忘れないでほしい」という強い思いがありました。この高校で何か輝いた功績を残したい、これから始まる高校生活で頑張る姿を地元に伝えるとしたら何ができるだろう?漠然とそう考えていました。

そんな気持ちを抱きながら参加した歓迎会で、パワーリフティング部の女子部員が、大勢が注目する壇上で、重いバーベルを持ち上げる姿を目にしたのです。その堂々とした姿が格好良く、メンタルや身体の強靭さに強い憧れを覚えました。その先輩が、この高校はパワーリフティングの強豪校であること、またパワーリフティングは高校からでも技量が伸びる競技であると教えてくださいました。小学生の時に感じた憧れの気持ちがよみがえり、スポーツ未経験者の私にとって、この言葉は心強いものでした。チーム名ではなく「堀越百恵」という個人名で勝負できるパワーリフティングに挑戦してみよう!と入部を決めました。

実家の母に入部を伝えると、初めは「女の子らしい部活に入ってほしい」と渋る様子でした。しかし、これまでの勉強や習い事とは違い、初めて自分の意志で「これがやりたい!」と思えたのはパワーリフティングであると、その特別な思いを母に正直に伝えたところ、それ以降は全面的に応援してくれています。

パワーリフティング部での輝かしい戦績と主将としての人間的成長

大学進学先に青山学院大学を選んだ理由は、パワーリフティング部の強豪校であることと、総合文化政策学部の魅力的な授業内容に引かれたことです。

パワーリフティングという競技の「結果の必然性」に魅力を感じています。天候や対戦相手などの偶然に左右されることなく、自分の力で結果を出せること、努力は裏切らないというところです。パワーリフティング部は自主性を重んじるアットホームな環境で、OBやコーチのアドバイスを受けながらも、練習メニューは選手が自律的に進めます。チームには、日本記録を更新したり、世界大会に出場したりとハイレベルな選手ばかりで、私の闘志を燃やしてくれました。個人競技は孤独な面が大きいですが、素晴らしい仲間に恵まれていたからこそ高い目標を持ち続けることができました。

4年次に主将を務めた経験は、私にとって人間的に大きく成長するきっかけとなりました。私自身は、目的に向かって努力を惜しまず、手抜きができないタイプでしたが、主将になると、競技に対する温度差がある部員への理解と対応に苦労しました。リーダーシップについて日々悩みながら、他者の気持ちに寄り添う視点を持つようになり、下級生が相談しやすい環境づくりに努めました。

部内の引き締めや注意が必要な局面では、時には心を鬼にして涙ながらにチームに喝を入れたこともありました。また、他の体育会の主将たちとの交流から、自分らしいリーダーシップを発揮するヒントを得ました。積極的にチームに関わることで、指導を求めてくれる後輩も増え、私自身も多くを学ぶことができました。

大学での競技生活で特に印象に残っているのは2年次に取り組んだ減量です。筋肉は残して脂肪だけ落とすトレーニングはハードでしたが、1ヶ月半で10kgの減量に成功し、その結果、国内3位の成績を収めることができました。厳しい冬の寒さのなか毎朝5時に起床し、外はまだ真っ暗ななか有酸素運動を行ってから登校の身支度を整え、週5日、片道約2時間かけて青山キャンパスへ通学していました。毎日のスケジュールは分刻みで、トレーニング、学業、そしてアルバイトをこなしていたので、スケジュール帳は必須アイテムでした。

4年次秋には、スロベニアで開催された「2023 IPF University World Cup」女子63kg級で総合12位、引退試合となった「第50回全日本学生パワーリフティング選手権大会」では女子63kg級優勝と女子最優秀選手賞受賞で締めくくることができたのは本当に嬉しかったです。

関連リンク:AGU LiFE No.152「英語力を生かし単身で臨んだパワーリフティング世界大会」

「第50回全日本学生パワーリフティング選手権大会」女子63kg級で優勝を果たす

初挑戦で優勝を飾った「第57回全日本学生ボディビル選手権大会(女子ビギナーズフィットネス部門)」

パワーリフティングを通じて、ボディビルという競技にも出会うことができました。学生パワーリフティング連盟と学生ボディビル連盟は同一組織として運営されているので、ボディビルの大会をサポートする機会がありました。ボディビル選手たちの鍛え上げられた筋肉と、ストイックな姿を間近に見たときの感動は忘れられません。4年次になる直前、学外の友人から、新設される「女子ビギナーズフィットネス部門」に挑戦しないかと誘われ、私自身もボディビルの世界に足を踏みいれる決断をしました。パワーリフティングとは異なり、ボディビルでは身体を限界まで追い込むトレーニングに爽快さを感じました。

下半身はパワーリフティングで鍛え上げられていたので、ボディビルでは上半身の引き締めに集中できたものの、パワーリフティングに必要な筋肉がボディビルに必要なウエストのくびれを損なうといった、相反する競技上の要求を両立させるのは想像以上に大変でした。その調整も行いつつ、倍増した練習時間の管理、身体をしぼる栄養管理の徹底に腐心しました。ボディビル特有のポージングに対する羞恥心の克服も課題でしたが、大会が近づくにつれて、部の後輩たちが大声で「笑顔がかわいいですよ!」など掛け声で褒めてその気にさせてくれ、客観的にポーズを修正してくれたことは大きなサポートとなりました。

こうして迎えた、私にとって最初で最後の大会「第57回全日本学生ボディビル選手権大会」では「女子ビギナーズフィットネスの部」で優勝、初代女王として名を残すことができました。他大学にも、「青学はパワーリフティング部だけではない!」という印象を与えることができ、ボディビルを目指す後輩たちにプラスになったと思います。

関連リンク:【パワーリフティング部】堀越百恵選手(総合文化政策学部4年)が「第57回全日本学生ボディビル選手権大会」女子ビギナーズフィットネスの部で優勝

「優勝を目指し強い意志を持って取り組んできたので本当に嬉しい」(堀越さん)

ゼミの学びを通じ、スポーツへの社会的な目が開かれた

総合文化政策学科で地方創生やメディア論を学んだ私は、高校時代に知った医療過疎地を救った車内広告の事例から、「メディアの力を社会貢献に生かしたい」と思うようになりました。特にスポーツの健全な発展とメディアの社会的役割に関心が高まり、3年次にはメディア論とスポーツ文化論を専門にするメルクレイン先生のゼミナール(ゼミ)に進みました。

卒業論文のタイトルは「メディアイベントとしての高校野球 『夏の甲子園』の意義」です。出身高校の野球部が甲子園出場常連校で私自身も熱烈な高校野球ファンなのですが、ゼミで学びを深めていくうち、「商業的に消費される学生スポーツ」という負の側面についても考えるようになりました。「高校野球は誰のためのものであるべきか」という観点から論を進め、現状の問題点を洗い出して改善提案を示したいと思っています。論文の結論では、自分なりに追求した「望ましい高校野球」の定義として「高校野球は高校球児のもの。高校球児に高校野球の意義を押し付けるのではなく、はたまた高校野球の意義を問うわけでもなく、球児たちが心から楽しんで野球を全うできること」という一文を提示したいと思っています。

大好きな高校野球を甲子園で観戦する堀越さん

母からの教え「誰かのために」を胸に、新聞記者の道へ

私は大学4年間で、部活動に勉学、幼少期から続けている書道、さらにはレストランやスポーツジムでのアルバイトにも打ち込んで非常に充実した時間を過ごすことができました。書道師範の資格試験に取り組んでいた時期は、あまりの忙しさに、その期間の記憶が消えているほどです。活動の全てに全力投球で向き合うのは大変ですが、私の根底には常に「誰かのため」という思いがあるので続けられています。時には頑張りすぎてしまって、パワーリフティングではケガも多く経験しました。「ケガが多いのは競技への理解が足りていないからだ。本当は向いていないのかな」と心が折れそうになることもありましたが、どんな時でも最後は「いや、ここで私が辞めたら一緒にやってきた仲間はどうなる。仲間のために頑張ろう」という思いで立ち直ってきました。

「誰かのために」という考え方は、母からの教えに基づいています。幼い頃から「誰かに与えた恵みは必ず返ってくるから、独り占めせずに分け与えなさい」と教わり、私の名前「百の恵み」もそこに由来しています。悩んでいる時には多面的な物事の見方を教えてくれ、私の人生を実り多い豊かな世界に導いてくれた母は、人格形成における最大の恩師と思っています。

幼少から始めた書道は競技と並行して継続し、師範の資格を取得

卒業後は地元の株式会社茨城新聞社に就職し、将来的にスポーツ記者になることを目標に研鑽を積む予定です。高校時代に選手としてあるメディアに取材された経験から、「記者は人々の生きた証しを残す素敵な仕事だな」と感じて記者を目指すようになりました。特に、茨城県の球児たちの軌跡を残すことができたら、とも思っています。

大学での学びを通じて、社会的な視点を身に付けつつある今は、ジェンダー問題やフィットネスの魅力、フードロスなどさまざまなテーマに関心を持っていて、声を挙げられない人々に焦点を当てた報道をすることによって、社会問題の解決に貢献したいと考えています。

実は高校時代、ある先生に「私は将来、記者になって常総学院の野球部を取材します!」と約束したことがあります。まずはその約束を果たし、次はさらに広い世界を目指して新たな挑戦を続けていきたいと思っています。

総合文化政策学部

青山学院大学の総合文化政策学部では、“文化の創造(creation)”を理念に、文化力と政策力を総合した学びを探究。芸術・思想・都市・メディアなどの広範な領域を研究対象とし、各現場での“創造体験”とともに知を深めていくチャレンジングな学部です。新たな価値を創出するマネジメント力とプロデュース力、世界への発信力を備えた“創造的世界市民”を育成します。古典や音楽、映像、芸能、宗教、思想、都市、ポップカルチャーなどあらゆる「創造」の現場が学びの対象です。どうすれば文化や芸術によって社会をより豊かにすることができるのか。創造の可能性を模索し、自身のセンスを磨きながら、創造的世界市民として社会への魅力的な発信方法を探ります。

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