「正解のない課題」と向き合う。人権の視点で深めた学び
<2025年度 学業成績優秀者表彰 最優秀賞受賞>
法学部 ヒューマンライツ学科 3年

OVERTURE
高校時代から社会問題の原因やその解決策を学びたいと考えていた新井陽子さん。ヒューマンライツ学科の授業を通じて、人権という視点から多様な問題を構造的に理解し、「正解のない問題」に向き合い続ける力と、人間的な成長を実感しています。
人権問題を構造的に理解する学びが魅力
ヒューマンライツ学科を志望したのは、社会の問題を俯瞰的に分析するだけでなく、困っている人に寄り添い、実際の解決策を考える力を養いたいと思ったからです。高校時代から、子どもへの虐待やLGBTQ+を含む人権に関わる問題に関心があり、そうした問題がなぜ起きるのか、どうすれば解決できるのかを“現場の目線”で学べるのはこの学科しかないと思い、進学を決めました。
私が学科の学びで特徴的だと感じているのが「構造的暴力」という視点です。構造的暴力とは、社会の制度や仕組みから生じる直接的・間接的な暴力のことで、差別や貧困、格差などが含まれます。たとえばシングルマザーの貧困の背景には、家計を一人で支えなければならないのに、育児中にフルタイムで就労できる環境が整っていないため、十分な収入が得られない構造的問題が存在します。こうした課題は、個人の努力だけでは解決することが難しい社会全体におけるシステムの問題です。「自己責任論」とは異なる、問題の根本や本質を見極めようとする視点で深く学べるのがヒューマンライツ学科の魅力です。「まさに私が学びたかったことだ!」と、日々深い充実感を持って学んでいます。
学業成績優秀者表彰式にて
答えより考える過程が重視される授業
人権や構造的暴力の問題など、ヒューマンライツ学科で扱うトピックの多くは、単純な解決策が存在しません。そのため、正解を導くこと以上に問題に関心を持ち、多様な視点を取り入れながら「考える過程」が重視されていると思います。学科の代表的な授業である「ヒューマンライツの現場A・B」では、ドキュメンタリー映像の視聴や外部講師の講義を通じて、孤独死、戦争、貧困といった人権問題の現場に触れ、学生同士で原因や解決策についてディスカッションを行います。この授業は、「正解はない」ことを前提に議論することで学生が問題への理解を深め、他者の視点から学ぶことに重点が置かれています。毎回、具体的な解決策にたどり着くわけではありませんが、少しでも前に進めるように悩み、考えることの意義を実感しました。また、「貧困と人権」の授業では、構造的貧困について、日本の戦後政策、新自由主義の台頭、近年の生活保護等に関する議論に至るまでの流れを分析し、歴史的文脈を踏まえて現在の貧困問題を把握する視点が得られたことが印象に残っています。
3年次からは、松田憲忠先生のゼミナール(ゼミ)に所属しています。1年次に受講した「政治学原論A・B」で、先生のやさしくてユーモラスなお人柄や、学生に対して常に公平に接してくださる姿に惹かれ、松田ゼミを選びました。卒業論文は「性的虐待と社会」をテーマに執筆する予定です。性的虐待は社会的にもっと問題視されるべきだと考えていますが、そのためには、当事者が助けを求めやすい環境、被害を語りやすい環境を整える必要があるのではないかという問題意識から生まれたテーマです。先生が研究テーマとされている、多様な要素を取り入れて多面的に物事を見る「社会科学的思考」を用いて、社会、家族、法制度などさまざまな側面から検討し、論文にまとめたいと思っています。
「単純な解決策はない」という現実と向き合う
孤独死、戦争、虐待といった問題は、規模も原因も異なる問題のように見えますが、人権の視点から捉えると、共通の要因が浮かび上がってくるように思います。それは「人命を軽視している」という点です。たとえば、戦争では国益のために人命が犠牲になり、近年の生活保護批判では生存権を軽視した自己責任論が繰り返されています。児童虐待は子どもの人格と命を軽んじることで起こり、国際紛争への無関心は、他国の人の命への無関心を意味します。このように授業でさまざまな事例に触れる中で、これらの問題に共通するのは、「人の命には平等に価値がある」という人権意識の欠如ではないか、と考えるようになりました。こうした自分なりの視点を持てるようになったのは、多くの授業で「あなたはどう考えますか」と問いかけられ、思考力が身に付いたからだと思います。
実は大学に入学するまでは、「大学の先生や専門家は、社会問題の“答え”を知っている」と思っていました。しかし実際には「この問題に単純な解決策はない」という現実を、多くの先生方が繰り返し伝えてくださいます。たとえば、SNSでの誹謗中傷は、「そんなことをする人が悪い」と個人の問題とされがちですが、そうした行動に至るまでの背景や、誹謗中傷そのものが日常化している社会の構造にも目を向ける必要があります。さらに、法規制は表現の自由とのバランスなど考慮する必要があり、決して万能な解決法とは言い難いです。社会問題を解決したいと真剣に願えば願うほど、その複雑さに直面して悩みは深くなりますが、それでも考え続けることでしか解決に近付く道はないのだと思います。授業を通じて、単純な善悪や安易な決めつけに逃げ込むのではなく、矛盾を受け入れながら「正解のない問題」について向き合い、考え続ける力が養われていると実感しています。
学外の活動で視野を広げ、学びを深める
1年次の春休みに、法学部の海外研修プログラムを利用して、オーストラリア国立大学法学部での研修に参加しました。現地では、自分から動かなければ英語もオーストラリア法の知識も身に付かないと感じ、ミスを恐れずとにかく積極的に手を挙げて発言し、自分の考えを伝えることに少しずつ慣れていきました。その経験から、「完璧でなくても、疑問を持ったら遠慮せず発信していいんだ」という自信につながり、帰国後もためらわずに自分の意見を言えるようになりました。
また、法律の概念が国によって全く異なることが学べたことも印象に残っています。特に衝撃を受けたのが、日本とオーストラリアにおける憲法の在り方の違いです。私はそれまで日本の憲法しか知らず「憲法とはこういうものだ」と思い込んでいました。しかし、現地で学んだオーストラリアの憲法は、日本のように“理念的”な内容ではなく、国家の仕組みや制度を規定した事務的かつ実務的な内容が中心でした。日本では、憲法解釈変更を巡るさまざまな議論や裁判が発生していますが、オーストラリアではそういった状況はほとんど見られないという事実を現地の学生に教えてもらい、目からうろこが落ちる思いがしました。何事も内側からだけ見ていては分からない、外に出て見ることが重要だと実感した瞬間でした。
オーストラリア国立大学にて
ヒューマンライツ学科の授業に共通する現場重視の姿勢や、オーストラリアでの研修で得た自信と経験に背中を押され、2年次から、外部の学習会への参加や行政裁判の傍聴など、学外での学びも積極的に行っています。また、本学独自の課外活動で、学部や学科の枠を越えて、学生が関心に応じたテーマで教員と共に学ぶ、少人数制の「アドバイザー・グループ」に参加しています。「ジェンダー、セクシュアリティ、LGBTQ+、障害、アクセシビリティ」に関するテーマを扱うスクーンメーカー記念ジェンダー研究センターの下村沙季マリン先生と障がい学生支援センターの長谷川大也先生のもとで学んでいます。下村先生からお誘いいただき、LGBTQ+の関連イベント「Tokyo Pride 2025」の渋谷区ブースでボランティアスタッフとして活動したことも、新しいチャレンジでした。
英語が好きなので、英字新聞『A.G.University News』を発行する英字新聞編集委員会の活動も続けています。私は、委員会内のイベント企画を担当していますが、1年次の青山祭では出展に際して団体の責任者を務め、この経験を通じて自分自身の成長を実感しました。青学は多様な体験の機会が豊富なので、これからも積極的に活用していきたいです。
就職活動の時期が近づいていますが、卒業後の進路についてはまだ明確に決められていません。ただ、これからも、「正解のない問題」に対して真摯に向き合い悩み続けていきたいと考えています。そして、「人の命には価値がある」ことを常に心に留めながら生きていきたいと思っています。ヒューマンライツ学科での学びは「人としてどう生きるか」という、生き方そのものを問われるような深い学びでもあります。異なる授業の中でも、最終的にはすべてが「人権」へとつながっていると気付いた時、その面白さに引き込まれて「もっと深く学びたい」との思いが自然と芽生えました。そのような姿勢を持ち続けた結果、学業成績優秀者表彰においても最優秀賞をいただくことができました。どのような仕事に就いたとしても、この学びは私の生き方の基盤であり続けると確信しています。
※各科目のリンク先「講義内容詳細」は掲載年度(2025年度)のものです。
法学部 ヒューマンライツ学科
AOYAMA
LAWの通称をもつ青山学院大学の法学部には、「法学科」に加え、2022年度に開設した「ヒューマンライツ学科」があります。
ヒューマンライツ学科は、人間が人間らしく生きるために欠かせない「人権」について、法学をはじめとした多様な学問分野から学ぶ日本初の学科です。人権は国の最高法規である憲法で保障されているだけではなく、国際社会の普遍的な価値でもあります。さまざまな人権問題の解決・改善のために法をどのように生かしていけるかを意識的に学び、政治学や経済学、公共政策などの観点からも学際的にアプローチします。
