言語は世界への橋。ジュネーブ留学で広がり続ける法学と国際社会の交差点

掲載日 2026/2/24
No.384
<2025年度 学業成績優秀者表彰 優秀賞受賞>
法学部 法学科2年
猪瀬 ソフィア愛彩
東京・私立桐朋女子高等学校出身

OVERTURE

国際的な家庭で育ち、英語を不自由なく使える猪瀬ソフィア愛彩さん。しかし、フランス語圏ジュネーブ大学への留学中、英語だけでは通用しない現実に直面。言語の壁を越える挑戦、頼る勇気、不確実性を受け入れる力。すべてが法学と世界の交差点となり、視野を広げ続けています。

「外国人」になった私、誰かに「頼る」ことから始まる成長

私は日本人の父とセルビア人の母のもとに生まれ、幼い頃から海外の人と関わる機会が多く、共通言語として英語でコミュニケーションを取っていました。だから私は、世界のどこへ行っても「人と人」。文化の違いも自然に受け入れられる――そんなタイプだと、ずっと思っていました。

ところが、留学先のジュネーブでは事情が違いました。スイスの第一言語であるフランス語は、大学で第二外国語として履修した程度。バスの乗り方やスーパーのセルフレジひとつにも戸惑い、当たり前だったはずの生活が急にぎこちなくなりました。周囲に知り合いはゼロ。大人なら一人でできて当然と思っていたことができない。その事実は、想像以上に心をざわつかせます。「ここはフランス語圏なのだから、私がフランス語を理解しなくてはならないのに…」と、自分を追い込んでしまうこともありました。

寮の部屋に到着して最初に目に飛び込んできたのは、窓一面に広がるサレーブ山の景色。その美しさに思わず撮影した、思い出の一枚

しかし、人に頼って生活していく中で、頼ることは恥ではなく、「初期投資」なのだと思えるようになりました。分からないことは聞けば、次からは自分でできるようになる。そう思い、勇気を出して店員さんにお願いし、乗り場の案内を聞き返し、英語で説明してもらう――その一歩一歩が「次は自分で」につながっていきました。
そして3か月が過ぎる頃には、カフェやスーパーでの会話も自然になり、聞き返してばかりだった自分を思い返して、成長を感じられるようになりました。

この経験は、私の視野を広げ、他者の立場や背景に目を向けるきっかけになりました。海外生活でストレスを抱える日本人も、日本で暮らす外国人も、皆さん、見えないハードルと向き合っています。その事実へのリスペクトは、以前よりずっと深まりました。特に、日本語は難しく、英語も通じにくい日本で生活する大変さを想像すると、私もいつか、誰かの「初期投資」をあたたかく受け止められる人になりたいと思います。

電車が止まった日が教えてくれた、予測不能を受け入れる力

11月、私は3泊4日でパリを旅行しました。帰路、ジュネーブ行きの電車が設備不良で突然止まり、車両は数時間動かず。リヨンで乗り換え、さらに途中でもう一度乗り換え……本来なら午前11時着のはずが、到着は7時間遅れの18時でした。

驚いたのは乗客の落ち着きぶりです。「車掌が修理を試みています」というアナウンスに、車内から笑いが漏れるほどで、怒号も苛立ちもない。どうにもできないことを受け入れる力が、空気のように共有されていました。

一方の私は、15時からジュネーブで国連ボランティアの準備があり、内心焦っていました。欠席連絡のメールを送ると、返信は「OK. 気をつけて帰ってね」という短く穏やかなメッセージ。その一行に救われたような気持ちになり、肩の力がすっと抜けました。

日本ではトラブルが少ないからこそ、予期せぬ事態に過敏になりがちです。けれども、不確実性が前提の環境では、「今日は行けない」と自然に受け入れられる余裕が必要になります。「焦っても電車は動かない」と割り切る姿勢は、私も見習いたいなと感じました。それ以来、予定外の出来事に遭遇しても、「じゃあ今日は別のやり方で」と上手く切り替えられることができています。

パリ旅行でルーヴル美術館を訪れ、「サモトラケのニケ」(勝利の女神像)を見上げる。圧倒的な大きさと精巧なディテール、その放つオーラに思わず息をのんだ

言葉の壁を越える瞬間。完璧でなくても勇気があれば伝わる

渡欧して間もない頃、母の実家があるセルビアに帰省しました。家族に囲まれ、セルビア語漬けの日々で、ジュネーブに戻ればフランス語を使わなければならないことをすっかり忘れていました。そんな油断した状態で帰路に向かい、ジュネーブの空港で出入国審査官からフランス語で「滞在許可証は?」と詰問されました。まだスイスでの滞在許可証は届いておらず、頭が真っ白に。とっさに「英語で話せますか?」と聞きましたが、返ってきたのは“Non”でした。

内心の焦りを抑え、「9月に来たのでまだ許可証はない」と伝えて仮の許可証の写真を提示すると、審査官は納得してくれ、私は無事に通過できました。文法が完璧でなくても、短いフレーズをつないで状況を説明できたことが、小さな自信につながりました。

頭にはあるはずの語彙や文法も、焦ると口から出てこないことがありますよね。しかし、完璧でなくても伝わります。わからない単語があっても、断言できない状況でも、曖昧さや折衷案を抱えたまま前へ進まなければならないときは、勇気さえあれば道は開ける。習得中の言語を使うときに、いちばん必要なのは、妥協できる心理的な余裕だと学びました。この出来事が心に残っているのは、「まず落ち着くこと」の重みを知ったからだと思います。

英語には「Comfort zone(安全圏)」という言葉があります。今の私にとって、日本という国はまさにそれです。治安と秩序の高さ、予期せぬトラブルの少なさ――それらは確かに安心を与えてくれます。しかし、その一方で、「空気を読む」文化は、ときに自己表現の自由を狭めてしまうように感じています。

ジュネーブの寮の部屋に、大きな蜂が入り込んだことがありました。受付の管理人に報告すると、最初に返ってきた言葉は「で?自分で出しなよ」。日本なら、たとえ形式的でも「大変ですね」と言ってくれるかもしれません。でも、こちらでは、日本と比べて、自分の意思をはっきりと主張することが求められます。そこで、蜂のサイズが大きくて自力では対処できないことを明確に伝えると、管理人の方は「確かに危険な種類かもしれない」と言って、一緒に部屋まで来て外に出してくれました。

南仏出身で、パリの大学に通いながらインターンのためにジュネーブに滞在していたカプシーヌさんとは、留学生イベントで仲良くなった。ある日「スイスは寒いからローマに行こう」と意気投合、遺跡を巡った。サヴェッロ公園(オレンジ公園)からテヴェレ川やサン・ピエトロ大聖堂を一望

日本には、主張しなくても汲んでくれる安心感がある。一方、こちらには、主張しても大丈夫という別の安心感がある。良し悪しではなく、文化の違いだと自然に捉えられるようになったのは、大きな収穫でした。

法学部生こそ、世界を見る必要があるのではないか?――条文の外側にある現実

11月末にジュネーブの国連欧州本部で開催された「14th United Nations Forum on Business and Human Rights」に、セッションのノートテイキングのボランティアとして参加しました。そこで繰り返し強調されていたのは、企業による環境破壊が人権問題そのものだということです。なぜ、ビジネスと人権のフォーラムの議題で環境問題を扱うのか?それは、河川汚染や気候変動が水不足を招き、外国企業によるリチウム採掘が地域住民の健康と富を奪う。これらすべてが、人権問題そのものだからです。

第14回国連「ビジネスと人権フォーラム」でノートテイキングのボランティアを担当した後、アセンブリーホールで行われた ClosingPlenary(フォーラム総括)を見学

こうした文化・言語・環境の違いに身を置いてみて、「法学部生こそ、世界を見る必要があるのではないか?」と確信しました。日本国内にも、国際結婚、外国人労働、難民受け入れ、海外取引、環境と企業活動の関係など、国際社会と直結する法的課題は数え切れません。さらに、一般企業に就職する場合でも、海外を完全に切り離したビジネスには限界があります。グローバル化が進む今、法を学ぶ者にとって、異なる文化や価値観を理解することは、単なる知識以上の意味を持つのではないか?と。

青山学院大学の法学部では、留学する学生は多くはないようです。しかし、法学部から世界へ足を踏み出すことは、少数派だからこそ確かな強みになると感じています。

将来は「未定」で良い。心の余白と行動の連鎖が未来を紡ぐ

私には、将来の夢がありません。幼い頃から「将来の夢は?」と聞かれるのが苦手で、目標を持てない自分にコンプレックスを抱いていました。しかし、ジュネーブでの生活は、私に「未定で良い」という心の余白を与えてくれました。目標がないなら、あるがままに興味のあるものへ飛び込めば良い。そうして一歩を踏み出すと、その経験が次の機会につながっていく。そんな実感を得るようになりました。

実際に、私は、第二外国語でフランス語を選び、1年次の夏休みに参加した法学部の海外研修「AOYAMA LAW イギリス・セミナー」で海外の法文化に触れ、得意とする英語を生かしながら、さらに視野を広げたいと考え、ジュネーブ大学への留学を決意しました。

ジュネーブ大学では国際法や国際関係の授業を履修し、先輩の紹介で国連フォーラムのボランティアに参加する機会を得ました。そこで、インフォメーションデスクも担当しましたが、フランス語話者の参加者に、十分な道案内ができず、心苦しさを覚えたことが、フランス語学習への強いモチベーションにつながりました。そして、また国際会議のボランティアをしたいという意欲が湧きました。飛び込んでみて経験した学び、行動の連鎖が、私の道を形づくっています。

ジュネーブ国連欧州本部パレ・デ・ナシオンの正面入口「アレー・デ・ドラポー(旗の道)」にて

留学前半の現在、ジュネーブ大学では政治学系列の授業を多めに履修していますが、純粋に「面白い」と感じるのはやはり法学なので、留学後半は法学系列の履修科目を増やすつもりです。ファッションが好きな私は、労働条件や環境権を国際人権法からアプローチする分野にも興味があります。既存の枠組みに縛られず、好きと強みの交差点を探していく、それが私の今のテーマです。

そして、言語は私にとって世界への架け橋です。英語は、学術的な文章を適切に書けるようなレベルにまで向上させたいですし、フランス語は、大学卒業までに「DELF」(デルフ・フランス語学力資格試験)の「B2」(日常生活で広く対応できる語学力をもち、一般的な話題に対して議論ができる。また興味がある分野では、抽象的な話題でも詳しく内容を理解でき、自分の意見を述べることができるレベル)を目指そうと考えています。

オリエンテーションのときにセルビア語で話しかけられたことがきっかけで仲良くなった、大学院で法学を専攻するスロベニア人のティレンさんは、大学でよく一緒に勉強している友人。手前に写っているノートは、猪瀬さんのフランス語学習ノート

最後に、私にとって「視野が広がる」とは、人それぞれ違うことを自然に受け入れ、背景を想像できるようになることだと私は考えます。大半の日本人が犬や猫を食べることに反対するように、世界には魚を食べることに反対する人もいる。極端に見えるかもしれませんが、教育も家庭環境も、心身の状態も、幼少期に触れてきた動物も、人それぞれ違うのです。違いをジャッジする前に、前提を点検し、背景を見る。すべてを受け入れる必要はないけれど、誤った前提のまま判断すれば、理解のチャンスを失い、紛争の種になりかねません。だから私は、これからも多くの場所へ行き、多くの人に会い、背景に目を向け続けたいと思います。

将来は未定です。しかし、胸を張って言えるのは、スイスでの経験が私の法学の学びを豊かにするということ。主張しても良い、頼っても良い、受け入れても良い。その余白がある場所で、私は今日も少しずつ前に進んでいます。

2025年冬 ジュネーブ

法学部 法学科

AOYAMA LAWの通称をもつ青山学院大学の法学部には、「法学科」に加え、2022年度開設の「ヒューマンライツ学科」があります。
法律は、人間社会の生活すべてに直結するともいえるルールです。法律を正しく理解し、公正で客観的な判断を下せる「リーガル・マインド」は社会のあらゆる領域で求められます。
AOYAMA LAWの国際性豊かな教育は青山学院大学の歴史とともに歩んできました。
法学科では、国際的・実践的なカリキュラムを通じて、専門的知識と法的正義感を備えた「法の智恵」を養います。

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