歌会始に入選し皇居へ。「好き」にプライドを持って文学を学び、創作活動を生涯続ける
日本文学科 2年

OVERTURE
1年次の1月、皇居での「歌会始の儀」で短歌が選ばれた新堀笙子さん。俳句や短歌を始めたのは高校の文芸部での活動がきっかけでした。長年の試行錯誤の末に完成した入選歌や、日本文学科での学びが創作活動にもたらした変化、そして文学への思いを語っていただきました。
創作の原点は高校時代、「伝える」喜びを知った俳句甲子園
真つ青な栞紐(しおりひも)あり文明は川より生まれ出づるをおもふ
皇居で開かれる「歌会始の儀*」で入選した短歌です。当時、大学1年生だった私は、皇居に招かれて、自作の歌が独特の節をつけて読み上げられるのを聞き、味わったことのない感慨を覚えました。天皇皇后両陛下からお褒めのお言葉を賜り、本当に貴重な時間でした。
*歌会始の儀…歌会とは、人々が集まり共通の題で歌を詠み披露する会。歌会始の儀は、毎年1月に皇居で開催され、皇族の詠まれた歌のほか、広く一般から募って選ばれた歌も披露される。2026年の歌会始には、15,101首の応募があり、入選作10首が選ばれた。
短歌や俳句を詠むようになったのは、高校の文芸部に入部してからです。部では特に俳句に力を入れており、毎年、俳句甲子園(全国高等学校俳句選手権大会)で全国大会出場を目指して努力を続けていました。
「歌会始の儀」の朝、振袖の着付けを終えての記念写真
俳句甲子園では、句の優劣を競うだけでなく、その句のこだわりポイントや相手の句の足りない点などを議論し合うディベートも重要な要素となっています。1年次の地方大会、私は補欠登録だったところ、急遽出場することになり、ディベートではほとんど話すことができませんでした。しかし「話せなくて悔しい」と思う一方で「伝わると嬉しい」と実感することにもなりました。その地方大会では見事優勝し、愛媛県松山市で開かれる全国大会に出場することになり、私も正規メンバーとして出場しました。
全国大会では一勝もできずに敗退し、実力を思い知らされる結果となりました。その一方、他の強豪校の試合をいくつも観戦し、観客として大いに楽しみました。特に、ディベートが単なる「議論」ではなく、どうしたら句が良くなるのか互いに話し合うかのような、リスペクトに満ちた雰囲気が素晴らしいと感じました。この観戦をきっかけに、「詠む」力も「読む」力もしっかり磨きたいと、本気で俳句にのめり込むようになりました。
文芸部の部誌では、俳句以外にも短歌や小説など多彩なジャンルに取り組みました。特に短歌は、俳句の五七五では言い尽くせない思いを詠みたいとき、俳句の表現に少し疲れたときなどによく詠んでいて、それは現在も続いています。
2024年度、高校3年次の俳句甲子園では、出場者を代表して選手宣誓を行った
俳句から生まれた一首。説明を削ぎ落とし、読者の想像に委ねる
入選した「真つ青な栞紐あり文明は川より生まれ出づるをおもふ」は、高校時代に詠んだ俳句「のどけしや栞紐てふ川のあり」をもとにしています。
ある詩集を読んでいたとき、青い栞紐が川のように見えたことを詠んだものですが、「栞紐が川のように見えた」という発見だけを表現していて、「のどけし」という春の季語も生きていません。自分の着眼を前面に出し過ぎているように感じて気に入らず、メモにだけ残していました。
アイデアは気に入っていたので、短歌ならば生かせるのではないかと「読んでいてふと青色の栞紐文明は川のそばで生まれて」とつくり変えるなど試行錯誤していましたが、しっくりこないまま寝かせていました。
この年の歌会始のお題が「明」の字を使うことだったため、この歌を完成させて応募することを決心しました。何度も改稿する中で工夫したのは、「栞紐が川のように見えた」と言わずに、読者の頭の中で結び付くようにすることです。「読む」「川に見える」という説明的な表現を全てなくし、「栞紐」と「川」という言葉の間に距離をもたせて、読者の想像が自然と広がるように詠みました。
高校で俳句を始めた頃、私が「これは良くできた」と思っても、先輩や先生にはそう思っていただけなかったり、逆に自信のないものが評価されたりすることを何度も経験しました。歌会始での入選は、私が良いと思ったものを、多くの人も同じように思ってくださった幸せな経験であり、一つの到達点だと考えています。
俳句甲子園には、高校3年間を通して全国大会に出場し続けた。3年次はチームとしては思うような成績ではなかったが、個人賞を受賞した
言葉へのアンテナを磨き、文学の流れを知り、創作の幅を広げる
青山学院大学の文学部日本文学科を志望したのは、「日本文学コース」と「日本語・日本語教育コース」の2コースがあり、両方の分野を学んだ上で専攻する分野を決められることに魅力を感じたからです。
1年次には、「日本語学概論Ⅰ・Ⅱ」「日本語学講読Ⅰ・Ⅱ」「日本語史Ⅰ」など、日本語の文法や構造、歴史を学ぶ授業を多く受講しました。これまで当たり前のように使ってきた日本語のルールや規則、その背景を知ることで、好奇心が強く刺激されました。
俳句や短歌が良い作品になるかどうかは、他の人が気付かないことをどれだけ拾い上げ、自分なりに表現できるかにかかっていると私は考えています。これらの授業をきっかけに、言葉へのアンテナが磨かれ、それまで見過ごしていた言葉の法則や使い方、表記などを意識するようになりました。日常生活の中で拾い出せる「面白い発見」が格段に増え、創作にも大きな影響があったと感じています。
2年次となった今年度は、高田祐彦先生の日本文学演習の授業で、「古今和歌集」について学んでいます。和歌の研究というと、一首一首を詳しく調べるイメージがありますが、ゼミナールでは、和歌集としての編纂について研究しており、大学の授業ならではの視点に夢中になっています。
3冊の注釈書を読み比べ、それぞれ「古今和歌集」をどのように分類・解説しているのか、受講生が分担しての調査・発表を行いながら学んでいます。私は、秋の歌が集められた巻について、注釈書を参考に「なぜこの並びなのか」をまとめて発表しました。気付いたことだけでなく「この歌は逆の並びになっても良いのではないか」という疑問も投げかけました。皆で議論し、さまざまな視点に触れて考えた後に、自分なりの結論にたどり着く、その過程に引かれ、「文学」の分野をより深く学びたいと思うようになりました。
専攻分野としては、特定の時代について究めるよりも、文学の大きな流れを見ながら、さまざまな時代の人々がその時代においてどのようなことを考え、それが次の時代にどのような影響を与えたのか、変遷について特に学びたいと考えています。長く続いてきた文学の流れを継いで、その歴史の先にいる創作者としての興味でもあります。

「好き」であることにプライドを持って。文学を学んで見えた世界
現在、俳句の「結社」に所属して句会や俳誌などで発表し、さまざまな賞にも応募しています。結社とは、主宰する俳人のもとに、俳句を上達させたい人たちが集まる組織です。私は、俳人の西村麒麟先生が主宰する「麒麟俳句会」に参加しています。先生が俳句甲子園の審査員を務められていたことがきっかけでご縁をいただきました。俳句や創作を仕事とすることが難しいとしても、創作活動は生涯続けていくつもりで、将来、句集や歌集を出版することを目標としています。
また、高校の文芸部の後輩たちの指導も続けており、昨年は俳句甲子園の全国大会にも同行し、現地で応援しました。青山学院中等部の林謙二先生からは、「教職員のための俳句指導」という会への参加を依頼され、幅広い年代の人々に教えることも始めています。
こうした活動の影響もあり、将来の進路の一つとして国語科教員も視野に入れ、教職課程も履修しています。これまで多くの先生方にお世話になって今の私があることへの感謝の気持ちとともに、次世代を担う子どもたちに文学の魅力を伝えていきたいという思いも強くあります。
実は、大学進学の際、文学部に進むことにはかなり迷いました。幼い頃から本が好きで、高校では文芸部の活動に打ち込み、文学が好きで学びたいという思いはあったものの、創作活動は大学の学びとは別に課外活動としても継続できるのだから、大学では実生活や将来の就職に役立つことを学ぶ方が賢明ではないかと思ったのです。
迷いに迷っていた頃、高校の先生からいただいた「実用的で生活に直結して役立ち、社会を前に進めてくれる分野は素晴らしい。でも、文学には社会の横幅を広げる役割がある」という言葉に背中を押され、文学部への進学を決めました。
今思えば、「趣味として続ければ良い」という考えは、自分の思いを見限り、やりたいのにやらない理由を探している「逃げ」でした。あの頃の自分に、今私が声をかけるとしたら、「好きであることにプライドを持って」と言うと思います。もしも同じように、文学は好きだけれど将来に結びつくのか不安に思っている人がいたら、その言葉をかけたいと思います。
大学では、長年研究を続けてきた専門家の視点や多様な意見に触れ、自らの考えの幅を広げられる、趣味の世界とは比較できない大きな世界が待っています。ぜひ、自分の「好き」「やりたい」を大切にして、進路を模索してください。
高校でお世話になった先生方に、歌会始入選の報告に行った際の記念の1枚
※各科目のリンク先「講義内容詳細」は掲載年度(2026年度)のものです。
文学部 日本文学科
青山学院大学の文学部は、言語、文学、思想、歴史、芸術などを学ぶ5つの学科から構成されています。人間が人間自身を問い続ける営みを通して生み出してきた多様な知の世界に触れることで、幅広い教養と確かな批評能力を養います。「人文知」の広大な世界を垣間見ることで、知性、感受性、表現力を磨き、自らの未来を切り拓く「軸」を形成します。
日本文学科では、文学と語学、日本語教育という多彩な研究対象を擁し、実践的なカリキュラムを揃えています。日本文学科における学びの本質は、過去から現在に至る日本語で書かれたテクストを対象とすることで、テクストの向こう側にいる〈他者〉と対話する技術を学ぶところにあります。〈他者〉の目を通して今一度自分自身という存在について見つめ直し、国際社会に通用する深い洞察力を養います。